2011年11月13日日曜日

自分を特別な人間だと思い込むのに疲れた

今回のエピグラフ

「たしかに芸術とはけっこうなものかもしれないさ。しかし、それは作る当人にとってのこと。見せられる側、義理や友情でいやおうなしに鑑賞させられる方にとって、こんな苦痛なことはない」星新一余暇の芸術】)

姿勢が悪いから、このまま身体が歪曲して、伊藤潤二の【うずまき】みたいにネジ曲がって死んでしまうかもしれない。
それくらい僕は【猫背】で音楽を聴いている際に首でリズムがとれない。
あのニワトリみたいに首を振るやつだ。でも、このあいだ、首を前に出して振るんじゃなくて、後ろに戻すって意識でやってみたらできた。つまり、スタート地点だと思ってた場所がゴールだったわけだ。こういう発見があるから僕は生きていられるのだと思う。

あと、今日は駅の構内にある消火器が入っているガラスケースみたいなやつの内側に虫がいた。どうやって中に入っただろう?と僕は考えていたのだけど、おそらくその考えは根底から間違っている。元々から内側に生まれ、内側でしか生きられない、【内側虫】という種類の虫かもしれないからだ。この世のすべての内側には【内側虫】が生息している可能性がある。つまり、不可侵だと思ってた場所が非不可侵だったわけだ。こういう発見があるから僕は生きていられる。

僕は【MC BATTLE】という俗物が大好きで、趣味の大半をこれに費やした時期もあった。初めて観た時に『世の中にはこんなにおもしれーもんがあるのか!』と本気で思ったものである。
そしては本日は【ULTIMATE MC BATTLE】の予選大会の最高峰と呼ばれている【UMB東京予選】というやつである。それに僕は行かなかった(出場という意味でも、観戦という意味でも)
なんか疲れてしまった。
ひきこもりたい。
あんまり人に会いたくない。
そんな感じだ。
自分を特別な人間だと思い込むのに疲れた。

感動したいのさ

Erik Mongrain 【AirTap!】

2011年11月5日土曜日

あぁ生きてるっていい事ばかりじゃきっと味気ないよね

今回のエピグラフ
街中がみんな他人に見えても仲間達に会えるよSPEEDwake me up!』)

後ろ向きに人を幸せにするために僕は【文章】を書く。
“人を幸せをする”というのは最高に自意識過剰で自己中心的な考え方ではあるけど、僕はまずそんなおこがましさの中で気分が悪くなってから、そんな僕の気分が最高に悪くなった事で何処かの誰かが最高に幸せな気分になればそれが本望だと感じている。
だから、残念な事ではあるけど、【僕】と【君】は必ず同時に幸福感を得られない。その分だけ幸福感が嘘くさい事を僕は祈っている。(ただ祈るだけだ)

【担任の先生】というと、そのほとんどが前向きな励ましを連呼したり【頑張ろう病】の発症を促したりするイメージが黒板に書いてある。実際、過去に、幸運にも僕の【担任の先生】を担った人たちはだいたいがそうだった。(“幸運にも”と強調したのは単に僕自身があんまり手のかからない生徒であった事を自負しているためだ)
中学の二年生から卒業まで【担任の先生】をしてくれたT先生の話をしたいと思う。
この先生は美術の先生でありながら、割とリアリストで、妙にネガティブな所に好感が持てた。
教室の黒板の上には二年間変わらずに大きくこんな言葉が書いてあった。

【人生我慢】

ほとんど毎日T先生はこの言葉を口にした。
『人生は楽しいもんじゃない、辛い事の方が多い。だから絶対に我慢しなきゃいけない』って。
まだ中学生で世の中の事がまるでわからなくて、理想ばっかり頭に浮かんで、未来ってやつはたぶん暗くはないだろうなーって思ってた僕は、いやー我慢したくないなーといつも考えていた。なるべく我慢しなくても生きていけるように生きよう。なんて考えていた。

二十代半ばにして最近、【人生我慢】って言葉がやたら頭に浮かぶ。
『先生、そういう意味だったんだね』
と凄く思う。
過去に色んな人から色んな言葉をいただいて生きてきたけど、【人生我慢】が一番、自分に刷り込まれてると思った。
僕がなんとなくネガティブなのはT先生の影響なのかもしれない。

また今日も『街中がみんな他人に見えても仲間達に会えるよ』っていう言葉の持つソーシャル感を我慢しなきゃいけない。

2011年10月29日土曜日

前向きである正しさが知りたい

今回のエピグラフ
『いいか、全ては気持ちからだからな』(DJ KRUSH feat.BOSS THE MC【Candle Chant (A Tribute) 】

僕は【文章】を書く上で人を幸せにする、という前提と設定があったのを完全に忘れていた。
読んだ人がほんの少しだけ幸せになるような事を僕は話す。
それでいて後ろ向きで決してポジティブではない形で。
そもそも僕は前向きである正しさが知りたいと思ってる。
世の中で【結果】を出せてる人のほとんどが前向きである。
僕はなんとか後ろ向きを維持しながら【結果】を出したいと思ってる。
最高にネガティブな失敗の発展を願って。
つまり、『あー俺の考え方は根本的に間違っていて社会や世の中に合わないんだなー、駄目だなー。最悪だなー。もっと頑張らなくちゃなー。もっと努力とかして真面目に生きなくちゃなー。何かを。でも、その何かがわかんないし、つーか、何か以前に何がわかんないかわかんないし、どっちの方角を向いていいのかもわかんないし、そもそも何が正しいのかもわかんないし』とか思ってる人がずっとネガティブでいればいいじゃないか、って願って。
ひねくれてれば、無理してネガティブ気取ってる自分が嫌だって気付いちゃうからその瞬間だけ前向きならいいと思う。
どうしていいかわかんないで迷ってるだけで身動きがとれないくらいなら、ひたすら後ろ向きに悪い事ばっか考えた方がいい。
失敗した時の気分の悪さは経験になる。
最悪じゃないとわかんないことばっかりだから。
実際、僕もわかってないし。

『おやすみプンプン』9巻】を買って読んだ。
自己批評的な話が増えてて、【浅野いにお先生】はそんなに人から天然だと思われたくないのかよ、って。感じた。
自覚してやってる。
わかってやってる。
自分で知ってる。
どう思われてるか知ってる。
自覚してやってる。
自分が一番わかってる。
自分が自分だってわかってる。
自覚してる。
自覚してやってるってわかってもらえるように自覚してやってる。
って、そんな事はどうでもいいじゃんって最近思うようになってきた。
最近、『仕事観』って言葉について少しばかり考えてるのだけど、これに関しては自覚が足りないと【大怪我】をする。
『おやすみプンプン』9巻】にこんな台詞がある。
『僕から言わせれば二十代の悩みなんてがむしゃらに働けば大概解決するんですよ。仮に挫折しても頑張れたっていう自信がその後の行動に繋がるんです。』
この“がむしゃら”ってのが大事で、“がむしゃら”ってのは自覚する暇すら与えない。
自覚する暇がないという事は、僕の文脈から話すと【大怪我】するという意味になる。
【大怪我】しないと自覚できないからずっと不安なまま。そんな僕です。
僕は“がむしゃら”に生きるのが苦手です。
集中力がないし、あんまり自分を追いつめないようにスケジュールを組んでる。
【文章】を書いているとストレスが溜まる。
頭のいい人たちや経験の多い人たちが怖いからだ。
だから、僕はあえてこの話をオチをつけない。
僕が何を言いたかったのかをあえて鮮明にしない。
そうする事であえて伝わる微妙なニュアンスは頭の良さも経験の多さも関係ないからだ。
ほんの少しだけ幸せになっていただけたでしょうか。

2011年10月23日日曜日

なるべくありがとうございますと言いたいです

ライブの予定が3本あります。戦慄MC BATTLE.20 -大円団卒業編-で少しばかりライブします。表記が【メンヘラの女の子】(ハハノシキュウ×かくに)になってますが、僕一人でやる予定です。打ち合わせ不足です。これが10月30日の日曜日。
そして、11月2日にconductorAMOEBAとvanadian effectのWO2X7と一緒に池袋BEDでライブする予定です。詳細はよくわかりません。深夜イベントなので病んでる人は来ない方がいい。
次の日の11月3日(文化の日)はBACA~室内フェス~
っていうメテオ様のイベントです。MC BATTLEもあります。デイイベントなので、病んでる人は来ない方がいい。
あと、あえて言わなかったけど、戦慄MC BATTLEはデイイベントで浦和なので、病んでる人も病んでない人も来ない方がいい。
ライブに出させてくださるのがありがたいです。
なるべくありがとうございますと言いたいです。

2011年10月22日土曜日

深海灯 / 雨風食堂

【PV】深海灯 / 雨風食堂 ( new album 「花と弁」2011発売予定)

Paranelさんに会ってみたい。うまく話せないかもしれないが。

あの娘のaiko

住所不定無職『あの娘のaiko』

自分以外の事は考えられない

だいたいどうしてこうも僕は気分が悪くなったり堕ちたりしなくてはならないのだろう。なんて思えば思う程、キリがないし、どう考えたって、自分の事、自分について、自意識とか、そういう方向にばかり思考が動いてしまう。救いがない。そういう卑屈さの中で面白い事ばっか探してるけど、はっきり言ってそれじゃあ人には好かれない。と同時に嫌われても別にいいやって感じでもない。というか普通に傷つくし普通に病むし普通に痛いから僕は普通の人なわけで、もの凄く唐突に本題に入ると、本題なんかない。つまり、存在しないものの中に入っていく話になる。僕はだいたい22才を過ぎたあたりから【自覚】ってやつを意識しないといけないんだなと思い始めた。たぶんだけど、たいていの人は何かしら境遇によって【自覚】しなきゃいけないようになる。それが最近面倒臭くて吐きそうになる。別に【自覚】なんかしなくてもいいじゃないか。って。【自覚】しようとして努力すれば今度は【自己批評】できるようにならないといかんなんて馬鹿な事を考え始める。何が面白いかをわかってないと漫才などできないと言うけど、そういうのが最近怠い。【自覚】の旅はおしまい。疲れる。僕はろくな人間じゃないと言いながら割と人並み程度にはやる事やるようにしてるし、はっきりそんなにカスじゃないと思う。とか、そういう【自覚】はいらない。僕は僕が誰でもいいように過ごしたい。どのパソコンからでもメールボックスが開けるみたいに。なんとなくラップしている僕は、歌詞の中の【僕】という人物を固定していない。つまり、別に誰でもいいから便宜的に【僕】を置いているだけ。とは言っても例とかを出せるほどに曲なんか作ってないし、やっぱ自意識過剰だ。思い返すと思い返した分だけ病む。なんかよくない。自意識の垂れ流しはよくない。それを【自覚】するのはもっとよくない。人に他人に相手に誰かに何かを【自覚】してほしい時に、遠回しに言っちゃう時ってあるでしょ。自分ってそれを人に言われてるのを気付かないまま生きてるからね。めだかボックスってマンガに出てくる過負荷みたいな事ばっか言ってるけど、西尾維新の影響なんか受けちゃって痛々しいとか思われてるのかしらとか【自覚】すんのもマジでしんどいし、どっちかっていうと佐藤友哉の影響だな、ウザったい感じが。とにかくこれは素直に人と話せる代わりに性根が素直じゃないから嫌な感じばっか人に与えてて僕は嫌われてるんだよねって話である。精神衛生不潔である。言葉はクソだ。流さないと。

2011年10月4日火曜日

沈黙を語る人

僕はツイッター(http://twitter.com/#!/hahanoshikyu)のフォロワーを“8849人”にしないといけない。しかも、それまで一切ツイッターで呟く事ができない。理由を聞かれたら、それは【ライ麦畑でつかまえて】のホールデン少年が《デーヴィット・カパーフィールド》式に~~って言ってるのと同じように《電波少年》式にそんな感じだからだ。

とにかく、ツイッター(http://twitter.com/#!/hahanoshikyu)のフォロワーを“8849人”にしなくては、と思い。僕は“20000人”をフォローすればだいたい“8849人”になるだろうと踏んでいたのだが、なんとも残念で理に叶った管理社会にはこんな掟があった。
“フォロワーが少ない人は2000人以上をフォローできない”
僕の言葉で適度な感じに要約するとこうなる。
というわけでフォロワーを増やすのがかなり面倒臭くなったわけである。
ここで本来の前向きな《インティライミ》式な感覚で考えれば、“己が8849人以上から黙っててもフォローされるようなアーティストになればいいんじゃないか”という結論に至るのだけど、はっきり言ってそんな妄言は三角コーナーに投げるのが正しい。この世には《インティライミ》式に世界を歩けると歩けない人がいる。

前置きはこの辺にして、僕はこの【ブログ】【文章】【非ツイッター】の中で、これから人の悪口を言おうと思う。
毎回毎回、特定の人物を名指しで悪く言っていく。悪口ってやつは簡単に人を呼び、炎上を誘う。だから、僕はその吉原炎上の中でフォロワーを増やしていくという策を思いついたわけである。
当初は身近な人と自分から遠い人を交互に罵倒して最終的にはリアルに嫌いな人にたどり着くという、【手塚治虫】の【火の鳥】みたいなプロット(大昔と超未来を交互に描いて現代に近付けていく)を妄想していたのだけど、そんな事をライフワークにしていたら早死にしそうなためやめておく。

さて、タイトルにもある通り【沈黙を語る人】(http://twitter.com/#!/nawotosuzuki)という【メタひにん】が僕の友人の中にいる。僕がたまにツイッターをのぞくと金太郎飴みたいに毎回カス発言をしている。
こんな人を罵倒しないで【ラッパー】を名乗るのは恥ずかしいのではないか?と僕は考えた。
この人のタチの悪いところは自身のカスっぷりを自覚している所にある。“廊下は走るな”って言われてるのをちゃんと自覚した上で走ってるんだから風紀委員会も面倒くさくてシカトしている。自覚してる人にカスって言っても意味がない。とにかく、それでも、あの人はカスだ。僕はそれが言いたかった。
(あの人(http://twitter.com/#!/nawotosuzuki)がこれをツイッター(http://twitter.com/#!/hahanoshikyu)で勝手に宣伝してくれるという魂胆である)

まあ、これはツイッター(http://twitter.com/#!/hahanoshikyu)で呟けない→呟けないを呟く→沈黙を語る→僕って事なんですけどね。

2011年10月1日土曜日

最小限の言葉で話ができるくせに最大限の言葉で話ができない

嫌いな【ラッパー】の話ができない。僕が何もしてないから。
何もしてない【ラッパー】が嫌いでも好きでもない。嫌いでも好きでもない事が増えていく。
何かをしていくと【ラッパー】は凄く好かれたり凄く嫌われたりする。
凄く嫌いで凄く好きな事が減っていく。

【ラッパー】って部分に【自分の興味のあるものに“er”を付けたもの】を代入していく。
最小限の言葉で喋りすぎるのに慣れてしまってる人達は最大限の言葉でPOPで社会的な話し方を苦手とするかもしれないけど、誰でも一緒。
現時点で僕は頭痛に耐えながら散文を打ち込んでいる。

爽快感のあるポップミュージック

僕は一時期であるが【負けて死ね】という二人組ラップグループでライブ活動をしていた。相方は【MCクスコ】という名前で、ぜんぜん【ヒップホップ】に興味がなくて、ブラジル人と日本人のハーフでどう見てもブラジル人で、イギリス人と付き合ってて結婚したんだか離婚したんだかよくわからない感じで、ジーパンに無地の白Tシャツに坊主頭という松本人志と同じ私服スタイルで、やっぱりどう見てもブラジル人。
一年以上前に【負けて死ね】でそれなりに曲を作り合っていた時期が一応あった。そもそも、頻繁にライブに呼んでいただける程に交友関係も広くないし、知り合いじゃなくても呼んでもらえるレベルのライブができるとも思ってない。というか、【MCクスコ】は別にそんなにライブする気がない。単に楽しいからやってるだけ。そこにストイックさとかを混ぜると一気に萎えてしまう。幸いにも僕自身、相方と【真面目さ】に対する感覚が似ていて、内心で【真面目に】取り組んでいたとしてもそれは絶対に表に出さない。完全にふざける事を前提としている。
今は全く活動をしていないため、別にそんな話をしても誰のためにもならないけど、これから僕がするもっとくだらない話のための前口上として受け止めてもらいたいと思う。要はなんというか【MCクスコ】っていう半外人がどんな人なのか知って欲しいという気持ちと僕が彼の事をよく知らないという気持ちを重ねた感じが伝わってもらえたらいい。

『ねぇねぇファックくん』と彼は僕の名を呼ぶ。彼の自宅のキッチンで彼が煙草を吸うのを見ていた時の事だ。
『アメリカンスクールってさ、身分とか立場の差別が日本よりずっと酷いんだよ』と彼は話を続けた。
僕はこの瞬間に“あれ?この人アメリカ人だっけ”と錯覚しそうになったが口に出さなかった。
『よくドラマとかでいるじゃん?アメフトとかやってて体格がよくて、クラスで一番可愛い子をガールフレンドにしてて、お父さんが偉い人で、みたいな奴』
ちなみにこの日、僕たち【負けて死ね】は翌月のライブに向けてミーティングをしていた、というか遊んでいた。とにかく当初はどんな曲を作ろうかという話をしに来たんだった。
『でね、ネットでね、そういうスクールカーストで上の立場にいる奴について記述しているホームページがあってさ、そこにこう書かれてたんだよ。“そういう人たちはドライブの際に爽快感のあるポップミュージックを好む”って。だからファックくん、そういう曲を繕作ろうよ!』
そして僕たちはその曲を完成させれないまま、今に至る。

2011年9月17日土曜日

もう少し人より楽しんで

【人より少しだけ自意識過剰】っていうのが【現代的】だって言うなら、【現代的】な事ばっかりだし、線路に石を置きながら僕だってその上をなぞってる。
【自分】を【特別扱い】してるのも疲れるし、いつまでそんな意識を持っていたらいいのかわからないし、持ってる意味だっておそらくない。
僕はこのアドレスに掲載している【文章】を【ブログ】を【自意識】を【一人称】を【知人】や【ゲス野郎】や【広義の自殺家】や【名探偵】や【美少女戦士】や【世界中毒者】に教えていない。
理由は恥ずかしいから。
でも、そんな恥ずかしさがなかった生きていけない気もする。
ドラゴンボールを全部集めてもおそらく【本音】の願いを言えないと僕は思う。
そんな恥ずかしさが必要だと思うからひっそりと【文章】を書いている。
それを踏まえて、【二人称患者】の【あなた】はこの【ラッパー】が書いた【文章】を【友達】とか【非友達】に教えないで欲しい。これは単なる僕からのお願いであって、判断は【二人語り】の【あなた】の自由だけど、あんまり人に言わないで、あんまり人と情報を共有しないで、アダルトビデオを観る時みたいな気分で接して欲しい。です。
【人より少しだけ楽しめるように】

鼻くそに目薬をかける

眼球を手術してブスが可愛く見えるようにしてもらえばいい

2011年9月11日日曜日

【格好いい事】は【当たり障りない事】かもしれない。【ダサイ事】は【わかりやすい事】かもしれない。

本気を出すって言葉が昔から嫌いで、程良い力加減で今まで生きてきたのだけど、人前で何かをする人というのはだいたいが【本気の人】だ。
【本気の人】という言葉の響きや語感が好きじゃないからここでは、【本気の人】を【電子レンジ】と身勝手に定義しておく(特に意味はない、電子レンジの字面が好きなだけだ)

【電子レンジ】の中には自分がじつは【電子レンジ】である事を隠している人が多く存在していて、僕はそんな人が好きだ。でも、やっぱり【電子レンジ】【電子レンジ】してないと認めないとか、【電子レンジ】さが伝わらないとか、人によってはそんな【電子レンジ】観を押し付けてくる人が多くいて、僕はそれが非常に苦手だ。
そんな僕ですが、【電子レンジ】になってやろうじゃないの!と意志を強固して、臨んだものがある。
【MC BATTLE】という競技だ。ちなみに【MC BATTLE】という言葉を僕は【わかりやすい事】だと思っているため、適当に【冷蔵庫】とでも定義しておく。
僕は【冷蔵庫】の埼玉の大会の出て【電子レンジ】さをぶつけたつもりなのだけど、見事に負けてしまった。
僕は【冷蔵庫】をナメ腐ってる節があって、負けてもそこまで悔しくなる事はあんまりない。現場(←この語感も嫌いだけどここのままで)まで来ちゃったお客様やユーチューブで見てる安楽椅子探偵さんたちがある程度楽しめる【冷蔵庫】にできればまあいいかなと感じている。
だけど昨日の【冷蔵庫】は珍しく本気で悔しかった。
【冷蔵庫】に中に最高の素材がたくさんあったのに【電子レンジ】になりきれなかったからだ。
対戦相手は【メテオ】という僕にとって『今まで会った人の中で一番面白い人』という形容が冗談抜きで当てはまる人だ。【電子レンジ】のヒューズが飛んじゃっている。
この人は【わかりやすいわけじゃない】【当たり障りないわけじゃない】だから、【かっこよくもないけどダサくもない】この地点にダーツが刺さっているのが本当に個人的に心地いい。
というのを全て踏まえて悔しい。

2011年9月6日火曜日

自分の気持ちを解ってくれそうな人にしか自分の気持ちを話さない人っているでしょ。ああいう人には本当になりたくないと思うんだけど、伝わらないニュアンスが増えてくると、伝わりやすい人にしか話さなくなる。

僕は【ラッパー】で、様々な人を【不幸】にしてきた。人を【不幸】にできる力というのは絶対に強大なものでないといけないと相場が決まっているため、僕の影響というのは小さくはない。僕の【ラップ】が人を【幸せ】にする事ができないか少しだけ悩んだ事がある。しかしながら、結論は一瞬で出た。
そんな事は無理だ。あり得ない。人を【幸せ】にできる【ラップ】はできない。
だから僕は【文章】を書く事にした。【ラップ】で人を【幸せ】にできないなら、人が【幸せ】になるような【文章】を書こうと思った。
少しでも人生に刺激を与え、ポジティブになれるような【文章】を書こう。

【ラップ】……おこがましい事
【ラッパー】……ラップをする人
【幸せ】……よくない事が起きる様
【不幸】……幸せでない事
【文章】……ツイッターでない事

2011年9月5日月曜日

言葉を所持する権利について

僕はリアリティーのある話をするのがどうも苦手であるため、あんまり自分の経験から物事を話さないようにしている。
だけど、自分の身に実際に起きた事や体験した時にしか話せない言葉というのは確かにあって、それがリアリティーのある話し方というのに繋がってくる。
例えば、仕事をした事がない人と仕事を一年以上した人とのあいだには仕事という言葉の持つリアリティーがまるで違う。
僕から前置きとして一つ。リアリティーのある言葉を置こうと思う。

【僕の弟は馬鹿である】

本題に入る前に少しばかり僕の話をしたい。これはただ愚痴というか、嘆きに近いのだけど、ツイッター(この固有名詞が僕の話のリアリティーを濃くしている)のやりすぎで、僕はまるっきり文章というものを書かなくなった。
なので、今、こうして文章を書いていても上手く構成をまとめられないし、一文と一文のあいだが不自然な感じがする。だから、非常に稚拙な文体になっているのは否めないし、それは元から僕に文才がないとかそういう話ではなくて普段からツイッターばかりやってると自分だけで他人の文脈を混ぜないで一人で文脈を作っていくのが難しく感じる。この一連の、一種の、文章能力の劣化について話がしたいと僕は考えている。

僕の弟は地元である青森県弘前市でサラリーマンをしている。趣味は剣道で、中学から社会人の今に至るまで飽きずに続けている。
そんな弟が着ているTシャツに僕の目線が止まる。
左胸のワンポイント部分に平仮名で小さく“う”と書いてあるのだ。
『おい、弟よ、貴様の衣服の胸に付いている“う”とはなんなんだ?』と彼に問うとこんな事を言い出した。
『剣道の先生が“う”を持ってて、それをみんなに分けてるんだよ』
『いやいや、“う”を持ってるってなんだよ!“あ”とか“ん”とかはじゃあ誰が持ってるんだよ。つーか、日本に50個くらいしか存在しないものの一つを持ってるっておめーの先生何者だよ?なんで言葉を所持する権利があるんだよ?』
僕は笑うしかなかった。
『よく分かんないんだけど、先生が“う”を持ってんだよ……』と弟はそれしか言えない。
弟は“う”を持ってる先生を知ってるけど、“う”が何なのか分からないから、人にそれを伝える時にリアリティーが薄くなる。
そんな話を僕がするとそれはさらに希薄する。

でも、これだけは伝わったと思う。

【僕の弟は馬鹿である】