2011年9月17日土曜日

もう少し人より楽しんで

【人より少しだけ自意識過剰】っていうのが【現代的】だって言うなら、【現代的】な事ばっかりだし、線路に石を置きながら僕だってその上をなぞってる。
【自分】を【特別扱い】してるのも疲れるし、いつまでそんな意識を持っていたらいいのかわからないし、持ってる意味だっておそらくない。
僕はこのアドレスに掲載している【文章】を【ブログ】を【自意識】を【一人称】を【知人】や【ゲス野郎】や【広義の自殺家】や【名探偵】や【美少女戦士】や【世界中毒者】に教えていない。
理由は恥ずかしいから。
でも、そんな恥ずかしさがなかった生きていけない気もする。
ドラゴンボールを全部集めてもおそらく【本音】の願いを言えないと僕は思う。
そんな恥ずかしさが必要だと思うからひっそりと【文章】を書いている。
それを踏まえて、【二人称患者】の【あなた】はこの【ラッパー】が書いた【文章】を【友達】とか【非友達】に教えないで欲しい。これは単なる僕からのお願いであって、判断は【二人語り】の【あなた】の自由だけど、あんまり人に言わないで、あんまり人と情報を共有しないで、アダルトビデオを観る時みたいな気分で接して欲しい。です。
【人より少しだけ楽しめるように】

鼻くそに目薬をかける

眼球を手術してブスが可愛く見えるようにしてもらえばいい

2011年9月11日日曜日

【格好いい事】は【当たり障りない事】かもしれない。【ダサイ事】は【わかりやすい事】かもしれない。

本気を出すって言葉が昔から嫌いで、程良い力加減で今まで生きてきたのだけど、人前で何かをする人というのはだいたいが【本気の人】だ。
【本気の人】という言葉の響きや語感が好きじゃないからここでは、【本気の人】を【電子レンジ】と身勝手に定義しておく(特に意味はない、電子レンジの字面が好きなだけだ)

【電子レンジ】の中には自分がじつは【電子レンジ】である事を隠している人が多く存在していて、僕はそんな人が好きだ。でも、やっぱり【電子レンジ】【電子レンジ】してないと認めないとか、【電子レンジ】さが伝わらないとか、人によってはそんな【電子レンジ】観を押し付けてくる人が多くいて、僕はそれが非常に苦手だ。
そんな僕ですが、【電子レンジ】になってやろうじゃないの!と意志を強固して、臨んだものがある。
【MC BATTLE】という競技だ。ちなみに【MC BATTLE】という言葉を僕は【わかりやすい事】だと思っているため、適当に【冷蔵庫】とでも定義しておく。
僕は【冷蔵庫】の埼玉の大会の出て【電子レンジ】さをぶつけたつもりなのだけど、見事に負けてしまった。
僕は【冷蔵庫】をナメ腐ってる節があって、負けてもそこまで悔しくなる事はあんまりない。現場(←この語感も嫌いだけどここのままで)まで来ちゃったお客様やユーチューブで見てる安楽椅子探偵さんたちがある程度楽しめる【冷蔵庫】にできればまあいいかなと感じている。
だけど昨日の【冷蔵庫】は珍しく本気で悔しかった。
【冷蔵庫】に中に最高の素材がたくさんあったのに【電子レンジ】になりきれなかったからだ。
対戦相手は【メテオ】という僕にとって『今まで会った人の中で一番面白い人』という形容が冗談抜きで当てはまる人だ。【電子レンジ】のヒューズが飛んじゃっている。
この人は【わかりやすいわけじゃない】【当たり障りないわけじゃない】だから、【かっこよくもないけどダサくもない】この地点にダーツが刺さっているのが本当に個人的に心地いい。
というのを全て踏まえて悔しい。

2011年9月6日火曜日

自分の気持ちを解ってくれそうな人にしか自分の気持ちを話さない人っているでしょ。ああいう人には本当になりたくないと思うんだけど、伝わらないニュアンスが増えてくると、伝わりやすい人にしか話さなくなる。

僕は【ラッパー】で、様々な人を【不幸】にしてきた。人を【不幸】にできる力というのは絶対に強大なものでないといけないと相場が決まっているため、僕の影響というのは小さくはない。僕の【ラップ】が人を【幸せ】にする事ができないか少しだけ悩んだ事がある。しかしながら、結論は一瞬で出た。
そんな事は無理だ。あり得ない。人を【幸せ】にできる【ラップ】はできない。
だから僕は【文章】を書く事にした。【ラップ】で人を【幸せ】にできないなら、人が【幸せ】になるような【文章】を書こうと思った。
少しでも人生に刺激を与え、ポジティブになれるような【文章】を書こう。

【ラップ】……おこがましい事
【ラッパー】……ラップをする人
【幸せ】……よくない事が起きる様
【不幸】……幸せでない事
【文章】……ツイッターでない事

2011年9月5日月曜日

言葉を所持する権利について

僕はリアリティーのある話をするのがどうも苦手であるため、あんまり自分の経験から物事を話さないようにしている。
だけど、自分の身に実際に起きた事や体験した時にしか話せない言葉というのは確かにあって、それがリアリティーのある話し方というのに繋がってくる。
例えば、仕事をした事がない人と仕事を一年以上した人とのあいだには仕事という言葉の持つリアリティーがまるで違う。
僕から前置きとして一つ。リアリティーのある言葉を置こうと思う。

【僕の弟は馬鹿である】

本題に入る前に少しばかり僕の話をしたい。これはただ愚痴というか、嘆きに近いのだけど、ツイッター(この固有名詞が僕の話のリアリティーを濃くしている)のやりすぎで、僕はまるっきり文章というものを書かなくなった。
なので、今、こうして文章を書いていても上手く構成をまとめられないし、一文と一文のあいだが不自然な感じがする。だから、非常に稚拙な文体になっているのは否めないし、それは元から僕に文才がないとかそういう話ではなくて普段からツイッターばかりやってると自分だけで他人の文脈を混ぜないで一人で文脈を作っていくのが難しく感じる。この一連の、一種の、文章能力の劣化について話がしたいと僕は考えている。

僕の弟は地元である青森県弘前市でサラリーマンをしている。趣味は剣道で、中学から社会人の今に至るまで飽きずに続けている。
そんな弟が着ているTシャツに僕の目線が止まる。
左胸のワンポイント部分に平仮名で小さく“う”と書いてあるのだ。
『おい、弟よ、貴様の衣服の胸に付いている“う”とはなんなんだ?』と彼に問うとこんな事を言い出した。
『剣道の先生が“う”を持ってて、それをみんなに分けてるんだよ』
『いやいや、“う”を持ってるってなんだよ!“あ”とか“ん”とかはじゃあ誰が持ってるんだよ。つーか、日本に50個くらいしか存在しないものの一つを持ってるっておめーの先生何者だよ?なんで言葉を所持する権利があるんだよ?』
僕は笑うしかなかった。
『よく分かんないんだけど、先生が“う”を持ってんだよ……』と弟はそれしか言えない。
弟は“う”を持ってる先生を知ってるけど、“う”が何なのか分からないから、人にそれを伝える時にリアリティーが薄くなる。
そんな話を僕がするとそれはさらに希薄する。

でも、これだけは伝わったと思う。

【僕の弟は馬鹿である】