2013年2月3日日曜日

人は 感動するために生きてっからよ ちまちま 生きたって のらりくらり やったって 事の大小に関係なく 生まれてきてよかった 生きててよかった なんて思える瞬間が 一生のうち 1度や2度くらいあるはずだ けどな そいつを味わうにせよ 持ち続けるにせよ 信じる力がいるからよ 我々は日々 精進しなきゃなんねえのよ

タイトルは「宮本から君へ」という漫画に登場するセリフ。
感動しないと生きていけないなって最近、よく思う。ところがあらゆる刺激慣れっこの現代人は感動の分母が大きくて、なかなか1以上にはならない。
感動の分母も、時間の分母も、経験の分母も、生きていくとだんだん大きくなります。
分子を供給しても、分母が大き過ぎるとなかなか気持ちは動きません。
欲しいものばっかりで、次は何を金貯めて買おうか。みたいなドキドキも薄れている。
いい意味で鳥肌が立ちたくて、その瞬間を待ち望んでいるというのに。
すぐに慣れちゃう。
「琴線に触れない」なんて言うけど、それは自分の琴線が悪いだけなのかもしれない。
感じ方を変えたら、まだ違う感動ができるかもしれない。
ヒップホップを聴く時にラップをメインで聴くかトラックをメインで聴くかリリックをメインで聴くかフロウをメインで聴くか。
でも、やっぱりそういうのを全部、考える必要もないくらい無意識にぶつけるものを腹一杯食べたい。
ああ、そう思う。

見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。
 一時期、十年も昔のことだが、手あたり次第にまわりの人間をつかまえては生まれ故郷や育った土地の話を聞いてまわったことがある。他人の話を進んで聞くというタイプの人間が極端に不足していた時代であったらしく、誰も彼もが親切にそして熱心に語ってくれた。見ず知らずの人間が何処かで僕の話を聞きつけ、わざわざ話しにやって来たりもした。
村上春樹-1973年のピンボール 書き出し-

ああ、そう思いたい。
自分の土地の話をすることばかり考えてる。
病的なくらいに逆だったらよかったのに。
自分に興味がある人より他人に興味がある人の方が魅力的でしょ。