2014年11月30日日曜日

シャゲキ

君の人生に影響を与える文章を書かないといけない。
君の人生を百八十度変えてしまうそんな文章を書かないといけない。

最近、前髪が異常に邪魔でパソコンの画面に向かっても暖簾みたいにそれが視界を遮って僕の集中力を欠く。そんな、長過ぎる前髪の存在を我慢しながらも僕は少年時代を思い返して随筆を書いている。
『シャゲキ』と呼ばれてる不審者がいた。
なんで『シャゲキ』なのかは誰も知らないけど、そいつが『シャゲキ』だって事はみんな知っていた。
僕だって知っていた。
当時、小学生だった僕は同級生と県営団地の棟と棟の間にある公園で遊ぶ事が多かった。
だいたい夕方くらいになると『シャゲキ』はそこに現れた。
シャゲキな不清潔に伸びたボサボサの髪の毛とガリガリの身体が印象的で、決まって絶対に一人きりだった。
今になって、改めて思い返してみると彼が何歳くらいなのかまるで断定できない。中学生にも見えなくないし、二十代の若者にも見えなくない。
小学生から見た中学生なんて得体が知れなすぎて正確な物差しで測れないし、それが高校生、大学生ともなると筆箱に入ってる定規で建築物の大きさを測るように、リアリティがない。
だから、小学生だった僕には『シャゲキ』が本当に得体の知れない化物のように感じた。
同級生たちは『シャゲキ』が現れると「こっちに来んな」と必死に石を投げた。何も石を投げなくてもいいじゃないかと思ったけど僕は何も言わなかったし、僕だって石を投げた。
『シャゲキ』という存在は確かに僕の小学生時代に断片を残している。だけど、記憶というのは適当なもので結局『シャゲキ』が一人きりで何をしていたのかとか、どうして僕ら小学生に忌み嫌われていたのかとか、まるで思い出せないのだ。
そんな『シャゲキ』について一つだけはっきりと覚えている事がある。
それは『シャゲキ』の顔だ。
ある日、『シャゲキ』はいつもと少し違った印象を持って現れた。
前髪を女子が使うようなピンで留めていたのだ。
その時、僕らは初めて『シャゲキ』の顔をまじまじと見たのだった。
「きもちわりー!」
『シャゲキ』の顔は何処となく僕に似ていた。
血色の悪さや細い目、笑う時に変に引きつる感じ(『シャゲキ』が笑ったところを見たわけではないけど、なんとなくわかる)がそっくりだった。
それ以来、同級生たちは僕の事を『シャゲキ』と言ってバカにした。
思い返すと他人から弄られるという事を知ったのはこれが人生で最初だったと思う。僕は単純に嫌な気分だった。
元から気の弱い部類だった僕は『シャゲキ』と言われる事を強く拒否できず、あーうるせぇなって毒素を貯め続ける羽目になる。
中学一年の五月くらいまでその毒素は溜まっていったけど、これはまた別の話なので割愛。
イジメられたなんて声を大にするような感じでもないが、自分のアダ名が気に入らないというこの嫌悪感は小さい声で言えばイジメだったのかもしれない。(時々、『シャゲキ』と言われてからかわれるだけで、別にそれ以上はなかったけど)
ただ、その出来事が僕に後天的な卑屈さを与えたんじゃないか?と過去のせいにしたくなる気持ちも多少はある。

タイムマシンが完成したら真っ先にその時代に行って、僕が『シャゲキ』と呼ばれる前にその同級生たちをボコボコにしようと思う。

それにしても前髪が邪魔でしょうがない。

2014年11月24日月曜日

人間として始まってる

君の人生に影響を与える文章を書かないといけない。
君の人生を百八十度変えてしまうそんな文章を書かないといけない。

『人間として始まってる』というフレーズを改めてこのブログのタイトルに冠したのには理由がたくさんあるけど、あんまり面白い話でもないから今は言わないでおく。
ただ、いずれ話す時が来るだろうし、これはその時までの伏線みたいなものと受け取ってもらえてればいいと思っている。

僕は今、便秘に悩まされていて、意を決してイチジクカンチョーをドラックストアで二個入り180円のやつを買ってきて、それを一本分丸々アスホールに流し込んだ所だ。(強烈な便意を3〜10分我慢してからトイレに行けと説明書に書いてある)
そんな状態で僕は文章を書いている。
僕は自分の話をするのが正直なところ嫌いじゃない。だけど、僕は自分の話をブログをやってるくせにあんまり書かないできた。それには理由があって、自分のプライベートを隠して謎っぽい感じを出したいだとか、ヒーローが仮面で顔を隠すようなシークレット感を演出したいだとか、そういう類ではなくて、ただ単純に僕の日常がそんなに面白くないだけなのです。
良く言えば平和で、悪く言えば地味で、普通に言えば普通。
人の人生に影響を与える文章を書こうとしてる割には実体験ってやつがあまりにも弱いのである。
どんだけ実生活がつまらなくても、そこから面白さを見つけて書いていくのが随筆家の腕なのだけど、どうもそういう才能は僕には無いらしく、中島らもみたいなエキセントリックな日々を綴るのは難儀だというが最近になってわかってきたのであります。更新頻度のだらしなさがその証拠だ。
みうらじゅんの言葉を借りると、ブログを書くには『不幸な事に不幸な事がなかった』とでも言うべきか。
じゃあ、僕の少年時代の話でもしようかなんて思い巡らせると、やっぱり面白くない。
そこそこ面白かったから面白くない。と言った方が正しいかもしれない。というか、他の人がどう思ってるかは知らないけど、僕は自分がすごく普通の人間だと思っていて、これまで送ってきた生活も割と普通だから面白く文章にして、君の人生を百八十度変えるのは非常に難しい事だと感じています。
そんな僕の人生の中から、僕は何をどう選んで、どう文章にしようかと悩むわけであります。こういう場合、僕は高確率で創造の世界に逃げます。虚構の方が笑っちゃうくらい話が進む。だから、僕の話は大半が嘘だと思ってもらっていいはずです。
なるべくリアリティーを壊さないようにして、書く。
例えば、僕はカクニケンスケというラッパーに歌詞を提供しているのですが、『風船を割りたくないなら』という曲の歌詞が妙にリアリティーがあるんですよ。
なんとなく付き合った彼女と同棲したら、同棲が全然心身に合わなくて嫌になるっていう歌なんですけど、これは創造と見せかけて、実話なんです。普通の僕が普通の過去から厳選した数少ないリアリティーです。
こういうのを虚言に混ぜていって、茶を濁していこうという趣です。
逆に虚言に現実を混ぜていく場合の方が多いけど。
例えばMCバトルとか。
本当は最近出たMCバトルについて、なんやかんや言う方が需要に対して素直なのかもしれない。そんな事は知ってるし、小説家が書く小説の書き方や、漫画家が描く漫画の描き方ってのは十人十色だからこそ面白いし、その作家の事を知らなくても興味を持てる。
僕はMCバトルが弱い。だから勝ち方なんて人に伝授できる器ではないし、バトルの勝ち方を知ってしまった初心者の君はテンポがいいだけでネタのつまらない漫才師を目指す事になるだろう。そんな事は僕だって君だって、君の友達だって望んじゃいない。
よし、だからこそ、これから僕はとっておきの『人間として始まってるMCバトル入門』を君に教えてよう。

そう思ったが僕はトイレに行かなくちゃいけない。
はっきり言ってすでに限界を超えている。
漏らしちまったら君のせいだ。