2015年11月19日木曜日

母野宮子のディスクレビュー其の三:HUH『HELL HELL YOU,HOLY HOLY ME』

竿竹屋はなぜ潰れないのかどうかはどうでもよくて、僕が話したいのは人はなぜギターを壊すのかって話。
二十歳くらいの頃に某フェスでトリを務めたくるりのライブを観た。
岸田繁は前日から風邪をひいていたため高熱があって喉もやられているとMCで話した。
その声色からはプロとしてのプライドと悔しさみたいなものを感じた、ような気がした。
最初から決めていたのか知る由もないが、その時のライブでくるりが最後に演奏した曲は『街』だった。
風邪をひいている人間が歌うような曲じゃないのは周知の事実だった。

『街』は当時のくるりの曲の中でも最も高音と声量が必要とされる曲だったと思う。(多分)
まるで喉を壊そうとしているかのように、岸田繁はその曲を熱唱した。
そして最終的に壊れたのは喉ではなくて、その時弾いていたギターだったのだ。
演奏が終わり、床に打ちつけられたギターの悲鳴が会場に響き渡った。
メンバーはステージから去り、暫くの間、その破壊されたギターは唸りを上げていた。
フェスのトリという事で、当然アンコールがあるものだとみんな思い込んでいて、ギターの音を掻き消すように観客はアンコールの要求を意味する手拍子を続けた。
最終的にステージに現れたのはくるりではなく、そのフェスのスタッフで、彼がギターの騒音を止めた瞬間に、アンコールが行われない事を誰もが察した。

十年近く前の事だが、結構鮮明に覚えている。

それはギターが破壊されたからなのか?

僕みたいに当時の事を忘れずに覚えている人は結構いるかもしれない。
でも、それが壊されたギターの代償なんだとしたら、それって格好いい事なのかな?って疑問に感じてしまう節もある。
もちろん、岸田繁は格好付けるためにギターを壊したわけじゃないと思うけど。
HUHというバンドの話をする前にくるりの話を持ち出す人間はこの世に僕一人しかいないと思うし、僕のブログを熱心に読んでくれる人の中でもHUHを知ってるって人は少ないはずだ。
ジャンルにこだわらずに活動を続けているハハノシキュウではあるけど、違ったジャンルでの活動が回り回って一つに身を結ぶ事は多くない。
MC BATTLEの時のハハノシキュウしか知らない人もいれば、おやすみホログラムに混じってるハハノシキュウしか知らない人だっている。
DOTAMAの横にいるハハノシキュウしか知らない人もいれば、アイドルの作詞をしているハハノシキュウしか知らない人だっている。
そして、もちろんHUHと一緒にライブしてるハハノシキュウしか知らない人も結構いる。

なんでなんだか、僕が関わりを持ってる人たちが続けてアルバムをリリースする時期らしく、ぷよぷよで言うところのアイスストーン、即ち3連鎖目がこのHUHのアルバムというわけになる。
過去二回含めてディスクレビューとか言って、そんなにレビューできてないし、肯定的な事しか書いてないから「はいはい、またお友達のステマですか?」なんて思われるかもしれない。
でも、くるりの話を読んだ挙句、惰性でここまで僕の文章を読んでしまったあなたはすでに手遅れだと思う。
だって、HUHのギター担当テラダキョウスケは幾度となくギターを壊してきた人間なんだから。
僕は僕の知り合いの中で自分が一番まともな人間だと思って生きている。
逆に言えば、僕の交友関係の中にまともな人間だと思える人間はほぼいない(よく、DOTAMAさんはまともそうなんて話を聞くが、あの人はあの人でかなりイカれてる)
そんな中で、普通に喋ってて一番まともだなと思うのがHUHのテラダキョウスケだ。
そんな彼がギターを壊すんだから、もう何がまともなのかわからないというのが本音ではある。
僕が、HUHを格好いいと思う理由はだいたい百個くらいあって、今はその一つ目しか話さないけど、こんな感じだ。


観客が四、五人しかいないスタジオライブでギターを壊した事がある。

僕は生でそれを観たわけじゃないけど、話に聞いただけで、格好いい!と思った。
だって、観客が四、五人しかいない状況でギターを壊すって事は、壊す時点で私利私欲や媚びが全くないって意味にとれるからだ。
自分がもしもギターを壊すんだったら、最も大きな会場で最も美味しい場面で壊すんだと思う。そもそも、HUHのライブにはこの「美味しい」という価値観が無い。

ギターを壊した事によって代償を何も得ないのに、またギターを壊してしまう。
何が彼をそうさせるのかは正直全くわからないけど、カッケー!って僕は思う。
楽器を大事にしろとかそういうモラル的な話は今は関係ない。

HUHってそもそもどういうバンドなの?って少しでもここまで読んで興味を持ってくれたらありがたい。
ここから先、とても説明しがいがある。


HUHはテラダキョウスケ(ギター)とモリタクマ(ドラムス)の二人によるオルタナロック/ハードコア/フリーフォーク/ノイズ…様々な要素を取り込み、フリーフォームで即興的にコラージュする東京アヴァン・デュオ。
即ちインプロデュオである。
インプロデュオというのは、簡単に言うと即興しかやらない二人組って事だ。
しかも、その即興ときたら定型を一切叩かないドラムと、破壊的なギター、そして二人のシャウト。
音楽は首を振って聴くもんだと思ってる人は是非ともライブに脚を運んで欲しい。
そんなHUHに混ざってハハノシキュウも時々、インプロラッパーとして参加させていただいている。
現時点でHUHと一緒にライブできるラッパーはハハノシキュウしかいないような気がしてると少しだけ自分を褒めておきたい。
そんなHUHが全国流通でアルバムを出すのだ。
ここまで読んでくれた人はおそらく察してくれていると思うが、そんなHUHのディスクレビューを書くなんて無意味な事なのだ。
言葉で括られるような音楽をやってない二人だ。

だから僕も敬意を表して、言葉では括らない。
だからこれ以上は特に言う事はない。

あっ、強いて一つ言えば、ドラムのモリさんが一番ヤバイ。












2015 11/18 Release!!!!!!!!! 

New Album

1. Entropy (Ver.1)
 2. Folly
 3. Sink Or Swim
 4. 84D M00N DVNC1NG
 5. Boyz teach it
 7. Wriggles
 8. Domination
 9. Fuyu no Tabigarasu
10. Vein
11. Nata de coco
12. Bottom of the valley
13. Echo Echo Other Luck
14. Satanic Somethings
15. Long skit -the lottery- (Remix)
16. Shit Freak Club 
17. Beats for our canals 

¥1500 (tax in) / 解説:Cal Lyall 対訳:青木竜太郎
OOOs-19 / OOO SOUND

 -取扱店-
Amazon、TOWER RECORDS、HMV、diskUNION、OOO SOUND web shop , and more...

 -各店舗共通特典 (実店舗のみ) -
■ "変なドレスMIX" / "Beats for our canals" feat. ハハノシキュウ 2曲収録 CD-R



2015年11月12日木曜日

ササクレフェスの告知と重大発表と、それまでのうとうと

ササクレフェスの告知に合わせて、ハハノシキュウから重大発表があります。

かつて、僕はラッパーなのに何故かハードコアテクノのレーベル、帝国レコーズから一枚。
そして、このササクレフェスを主催している術ノ穴からDOTAMAと一緒に一枚。
それぞれアルバムをリリースさせていただいています。

あえて一つのレーベルに所属せず、色んなジャンルのレーベルからリリースをしたいと思っていました。
そんな僕にこの度、朗報が飛び込んできたのです。

おやすみホログラムを世に輩出した新生レーベル。
GOOD NIGHT!RECORDSからリリースのお話を頂いたのです。

というわけで、2016年春。
おやすみホログラムプロデューサーの小川晃一さんとタッグを組み。
小川晃一×ハハノシキュウ(通称8×8=51)でアルバムをリリースする事が決定しました。



そんな8×8=51の試運転(?)みたいな形で、ササクレフェスのハハノシキュウのアクトにおいて、かつて二人で共作したアイドル曲のセルフカバーを一曲だけ披露したいと思っています。


僕はかせきさいだぁがでんぱ組.incの『くちづけキボンヌ』をセルフカバーしているのを聴いて、「いいなー僕もセルフカバーやりたいなー」って気持ちでいっぱいになりました。

タイムテーブル的にやや早い時間ですが、ハハノシキュウ目当てで早い時間に会場入りしていただける事を願っております。

小川晃一×ハハノシキュウのアルバム詳細については追って、少しずつ情報公開をしていきたいと思います。






2015年9月17日木曜日

母野宮子のディスクレビュー其の二:おやすみホログラム『おやすみホログラム』


いきなり書き出しから話が逸れて申し訳ないが、僕は8mm(おやすみホログラムの八月ちゃんとライムベリーのMC MIRIのコラボユニット)の『センチメンタル』という曲の歌詞を書いた人間だ。
はっきり言って作り込んだ技巧的な歌詞ではないけど、内容的には割と気に入っている。
特に2バース目が終わった後の歌の部分が気に入っている。

この『センチメンタル』の歌詞は聞く人によって浮かぶ情景は違うだろうと思う。だからこれは、解説というよりはただの深読みだと思って話を聞いてほしい。

センチメンタルの主人公は女の子で、年齢は中学生ぐらい。時代的には西暦2000年代初頭くらい。
付き合ってはないけどいつもメールしてる男子がいて、ある日眠れない夜に「会おう」って事になって家を抜け出す。
コンビニの光を目印にして二人は合流して、少し遠い場所にある公園でブランコに乗る。
男子の方は吸った事のない煙草を父親からくすねてきて、全然上手く吸えなかったりする。
結局、二人は付き合う事もなければ、手すら触れ合う事がない。
そんな感じの小さな物語だ。
特にオチもない。オチがないからセンチメンタルなんだって歌だ。

じつのところこの歌詞、僕が昔作ったカクニケンスケの『回送ブランコ』という曲の歌詞と話が繋がっている。
言っちゃえばただの深読みだけど。

こっちの主人公は男の子で小学生くらい。時代的には90年代後半くらい。
幼馴染みの女の子といつもブランコに乗って遊んでいたが、理由が思い出せないくらい些細な事で彼女を怒らせてしまう。
彼女に謝ろうと思っていた矢先に急な転校が決まり、謝れないままで男の子は町を去る。
彼はその時に謝れなかった事を人生の後悔として受け止めていて、大人になり就職活動をしながら、そんな初恋を昨日の事のように思い出して憂いている。

『センチメンタル』の主人公の女の子はメル友の男子と並んでブランコに乗るが、そのブランコこそ小学生時代に『回送ブランコ』に登場したブランコなのだ。
『回送ブランコ』の男の子からすれば残り香の強い初恋だが、『センチメンタル』の女の子の頭には彼の事なんてこれっぽっちも残っていない。
メル友の男子とも特に距離を縮められるわけでもなく、切なくなる事すら拒んでいるようなそんな女の子だ。
そして『回送ブランコ』側の男の子からすれば残酷なくらい女の子の方は、彼の事を全く気にも止めていない。

感傷的で叙情的。
おやすみホログラムのプロデューサーである小川晃一さんは感傷的で叙情的な人だと、僕は勝手に思っている。

「君の影が白い雪を蹴って僕の影を埋め尽くした」(おやすみホログラム『before』)

立て続けに普段お世話になっている人のレビューばかりを書いていたら、そりゃ、きな臭くなってしまう。
しかし、僕が「きな臭い」で終わるような人間じゃないって事をよく覚えていて欲しい。
「きな臭い」で終わらないがためにラップを始めた人間だって、昔から僕を知ってくれている人にはきっと伝わっていると信じつつ、最近ハハノシキュウを知った人にもやんわり通じるように話したいと思う。

9月16日におやすみホログラムの記念すべき全国流通盤『おやすみホログラム』が発売された。
僕は北国育ちの人間だからなのか、2曲目の「before」が一番好きだ。
すでに「before」という言葉自体が大人目線で、浸りたい何かがかつてそこにあった事がわかる。
オルタナサウンドそのものが体現している事でもあるのだけど、おやすみホログラムの楽曲は基本的に『未来』の事を歌っていない。後ろ向きに電車に乗った時のように過ぎた後の風景ばかりが浮かんでくる。
この青臭さが現役の中学生にわかってたまるか。と言いたくなると同時に自分が年齢とったなあと嘆きたくもなるような青春観だ。
こういう事を言うとまた媚びを売ってるとか、きな臭いとか思われそうなので、じつに軽率な口調で言わせてもらうけど小川さんの青春観と僕の青春観は結構近くて、楽曲を一緒に作る上でかなり相性がいいと自分で思うんですよ。
お互いに答え合わせ的な話をした事なんて一度もないけどなんとなくそう思うんですよ。
しかも、各々のソロの曲でそれをやろうとすると絶対にひねくれてしまう。
偶像あってこそ素直に形にできる。
素直にと言うよりは伝わりやすいようにと言った方が正確かもしれないけど。

おやすみホログラムもいつかは『before』になってしまう。
『回送ブランコ』の少年のように向こうは自分の事なんて気にも止めてない風に見えてきて、遠くへ行ってしまうような気がする。
これはもちろん、とてもいい意味だ。
僕の手が届かなくなるくらいに売れて売れて、『おやすみホログラム』ってアルバムがいつか『before』になればいいと思う。

「君が遠くなってく、僕はまだここにいる」(おやすみホログラム『before』)

ここまでレビューを書いて、アイドルのアルバムの話なのに「かなみる」も「八月ちゃん」も登場していない事に気付く。やっちまった。
ここまでレビューを書いて、音楽の話なのに具体的な曲の話をしていない事に気付く。やっちまった。
褒めたい事がたくさんあって書き切れないから、9月22日のおやホロワンマンで会ったら直接言おう。
9月22日のおやホロワンマンに行こう。
9月22日は新宿LOFTに行こう。

彼女らが遠くなってく前に。



2015年8月17日月曜日

母野宮子のディスクレビュー其の一:DOTAMA『ニューアルバム』

2014年のUMB本戦が終わった後、僕は2013年の時と同じように恵比寿リキッドルームの出口で顔をくしゃしゃにして泣きながらファンと握手したり写真を撮られているDOTAMAに声をかける。
声をかけると言っても実質、特に何も言ってない。
悔しさを理解できるからこそ、第一声で何て声をかけたらいいのかがまるでわからなかったからだ。
結果として僕から声をかけたつもりだったのにDOTAMAの方から声が聞こえてきた。
「僕さ、負けてなかったよね?2本目で勝ってたよね?」
僕は心苦しさを噛み締めながらも、率直に感じた事を伝えた。
本当なら大会後の熱りが冷めてからの方がよかったはずだし、来年どうするかによっては言わないつもりだった。

DOTAMAとR-指定という二人のMCについての説明はあえて省きたいと思う。
なので、知らない人は知ってそうな人に聞いてみて欲しい。おそらく、熱を振るって教えてくれると思う。

僕はDOTAMAというMCについて、勝手な誤解をしていた。
DOTAMAというMCを他のどのラッパーよりも理解していると僕は思っていたが、実際はそんなにわかっていなかったのである。

UMB2014本戦の二回戦最終試合。
去年の決勝カードが早くもここで再現される。
DOTAMA vs R-指定である。
1本目は正直、目を瞑って耳を塞いでいても延長になると確信していた。
1本で決まるような試合を誰も望んでいない。
大袈裟な言い方かも知れないが、この日来た観客の中には「これを観る為に高い金払ってここに来たんだ」って人がたくさんいたと思う。
そして、2本目に突入する。
DOTAMAは1本目で先攻だったため、次は後攻になる。
MC BATTLEに出た事のある人ならわかると思うが、延長の後攻というのは精神的にかなり楽なのである。
そして、ビートも変わる。
チャチな言い方で申し訳ないが、最も伝わりやすい形で言葉にすると倍速ビートである。
R-指定が倍速ビートの乗り方に長けている事はその時、ほとんどの人が認知していた。
逆にこれはチャンスだ。
僕は思った。同様にDOTAMA自身もそう思ったに違いない。
DOTAMAは倍速ビートの時こそ真骨頂を発揮する。そして、幸運にもその事実は当時そこまでバトルファンに浸透していなかった。
そもそもDOTAMAはビートも韻も無視したようなお喋りバトルスタイルでその名を世に広めたのだから。
R-指定が先攻でリズムキープをアピールしてくる事は読めてる。
ここでDOTAMAがR-指定と対等にこのビートを乗りこなすだけで、観客側からすれば虚をつかれたように歓喜する他ないのである。
DOTAMAの後攻1回目はまさに想定通りの展開だった。
次にR-指定が何を言って来ようと後攻の利でねじ伏せる以外に選択肢は無い。
それに先攻後攻2本ずつのルールで後攻がDOTAMAというパターンは2011年を彷彿させ、R-指定のトラウマを抉る可能性だってあった。
ここで一番大事なのは後攻の最後の小節をどう締めるかだ。
ここがドラマチックじゃないと観客は有無を言わさずにもう1本の延長を告げるだろう。硬式テニスのタイブレークのように相手が集中力を切らすまで続くような長期戦を強いられる可能性もある。

結果、DOTAMAはバースの最後をこう締めた。
「確かに三連覇は凄いけど
ギャグラップが頂点になる方が絶対すげぇんだ!」

時系列をリキッドルームの出口に戻す。
「DOTAMAさん自分に嘘ついちゃダメですよ」
僕はそう言った。
本当に僕はなんて浅はかで心無い事を言ってしまったんだとかなり後悔している。
「僕は嘘なんかついてないよ」
「DOTAMAさんって自分の事をギャグラップだって思ってたんすか?」
「今は誇りを持ってそう思ってるよ」
その眼差しは真剣そのものだった。
僕は誤解していたのである。

いきなりまた違う話を始めて申し訳ないが、この間ハハノシキュウのドキュメンタリーをハダさんという気のいいおじさんに撮影していただいた。
そのドキュメンタリー自体はYouTubeで探せばすぐに見つかると思う。
そのドキュメンタリーでカットされた質疑応答がある。
それは全ての撮影を終えて、渋谷駅に向かっている時の事だ。撮影をしてくれたハダさんはこう言った。
「最後に質問してもいいですか?」
僕は「はい」と言い捨てた。
「ハハノシキュウさんにとって『東京』とは何ですか?」
僕はその質問に答えられなかった。
プロフェッショナルみたいにスガシカオの歌が背中で流れていても答えられなかっただろう。
むしろ「あれ?東京ってなんだ?」と頭を悩ませてしまった。
カットされて当然の場面である。
その日から僕は漠然と『東京』って何だろう?と考える事が増えた。

そして、また話は変わる。
僕はこれからDOTAMAの新しいアルバムを前もって聴かせてもらった上でそのレビューを書こうと思っている。
ハハノシキュウが直々に書くのだからAmazonレビューやその類とは毛色が違う。
悪い言い方をすればただのステマである。
ただ、ラッパーの友達がいる人は思い返してみて欲しい。
知っている人のラップは聴こえ方が違う。
僕がまだラップを始める前に、高校の同級生が聴かせてくれた音質の悪いデモテープがなぜかとても特別格好いいものに感じたのを憶えている。
DOTAMAとは地元も違うし、年齢だって違う。僕がラップを始めるよりずっとずっと前からこの人はDOTAMAだった。
術ノ穴のKussyさんから紹介してもらうまでは「般若に「フロウがSEEDAみたい」って言った人だ」という印象だった。

まさか一緒にアルバム一枚作り上げる戦友になるとは想像もしてなかった。
それに僕はDOTAMAを「ギャグラップ」だなんて思った事すらなかった。
そういう意味でDOTAMAが今回作り上げた「ニューアルバム」はどうも特別感が拭えないのである。

「100年経っても新しい、その名もニューアルバム」

そんなキャッチコピーと共に情報公開となったDOTAMAのかなり久方振りのソロアルバムだ。
完全な蛇足だが、このキャッチコピーは僕が一部考えた。

はっきり言ってこれは、連続テレビ小説『DOTAMA』とすら呼べそうな作品だ。なんて僕は思った。
今、まさに放送中の「まれ」や少し前だと言うというのにまだまだ古びれない「あまちゃん」のような地方と都会を右往左往する物語がこのアルバムには詰まっている。
話を少しUMBに戻すが、DOTAMAはUMBの本戦に出場するにあたりずっと東京代表としてクレジットされていた。
2014年にDOTAMAは満を持して地元の栃木県での優勝旗を掴む。
僕は優勝経験などほとんどないから説得力のある言い方は出来ないが、地方予選で優勝するのは東京で優勝するよりも難しい場合がある。
栃木予選に足を運んだ事がないから、あくまで自分に置き換えて話すが、僕が青森予選に出た時に会場のほぼ全員が敵に感じた事を覚えている。
1回戦2回戦の試合を観ていると「誰がハハノシキュウを倒すか?」「俺がハハノシキュウを倒すんだ」という明らかに獲物として認知されている感覚。
結局、僕はベスト8で負けてしまったが今でもどうすればあの時優勝できたのか、全然わからない。
ただ、もし僕が東京かどこかの代表になって本戦でいい試合をしたとしたら、帰省して青森予選に出た時の感触は違ったかもしれない。
DOTAMAは東京からの景色も、栃木からの景色も鮮明にラップしている。
ニューアルバムに収録されている『栃木のラッパー』や『イオンモール』から特に色濃く感じ取れる。
個人的に『イオンモール』はDOTAMAの現時点での最高傑作だと思っている。

DOTAMAと言えば割と俯瞰的な視点の曲が認知されてると思う。その路線のDOTAMAにはさらに磨きがかかっていて『音楽ワルキューレ2』や『名曲の作り方』にはその彼らしさがふんだんに詰まっている。
現状をぼやくだけじゃなくて、ぼやいた上でどうするべきかと闘っているように見える。

ただ、ここまではおそらく誰もが知っているDOTAMAだと思う。
UMBの話をするまでもなく背中に彼は物語を背負っている。
外側から内側を見る事の多かったDOTAMAが素直に自分と向き合う曲、言わばセルフボーストがこのアルバムの最大の味だ。
前述の『栃木のラッパー』もそうだが『HEAD』『自宅ユニバース』『誰も知らない』『要求』そして『カリカチュア』とまさに自画像のような曲が増えたのである。
私事ではあるが、僕は自分と向き合う曲を作るのが辛くてしょうがないタチだ。だから『HEAD』のような言っちゃえば絶対にDOTAMAにしか歌えないような曲は簡単そうに見えてすごく難しいはずなのだ。
『音楽ワルキューレ』や『ホーリーランド』ではどこか他人行儀で、どこかSFチックに、距離を置いていたDOTAMAだがそこに一歩踏み込んだのが『ニューアルバム』だと言ってもいい。
自虐的で諦観的で、それでも自分から逃げないで、そんな自分を面白おかしくラップする。
それが『リスラクション』から先に進むための『リクルート』なのだと僕は感じた。

DOTAMAにしか歌えない。
そりゃ、ラッパーなんだから当然でしょ。と思う人もいるだろう。
しかし、じつのところ本当に難しいのは「誰でも歌える歌」なのである。
僕は、数行前に「『イオンモール』はDOTAMAの現時点での最高傑作だ」と書いた。
なぜ、そうなのかを熱弁してこのレビューを締めたいと思う。
『イオンモール』はDOTAMAのかつて作ってきた曲の中で最も普遍性が高いのである。
そして同時にこれは「誰でも歌える歌」ではないのである。
地元に『イオンモール』または『ジャスコ』があった人間にしか歌えない歌なのだ。
それはまるで『SRサイタマノラッパー』や『サウダーヂ』を彷彿させる一つの答えのようなもの。
僕の予想だとこの『イオンモール』をリミックスしたい、バースを蹴りたいというラッパーが複数人現れると思う。
『東京』というタイトルの曲に名曲が多いのと同じように『イオンモール』という曲も名曲に違いないのである。

そして、僕はピンときたのである。
「ハハノシキュウさんにとって『東京』とは何ですか?」
「『イオンモール』みたいなものです」

100年経っても変わらないもの、つまりは古典のようなもの。
著作権が切れても淘汰されずに残っていくそんな『ニューアルバム』だ。
もしかしたら1000万枚売れるかもしれない。




DOTAMA『ニューアルバム』

01, HEAD (pro. Quviokal)
02, 音楽ワルキューレ2 (pro. Fragment)
03, 名曲の作り方 (pro. Kuma the Sureshot)
04, イオンモール feat.カクマクシャカ (pro. クロダセイイチ)
05, カリカチュア (pro. SUNNOVA)
06, 誰も知らない (pro. 食品まつり)
07, 自宅ユニバース (pro. the mornings)
08, 要求 (pro. munnrai)
09, リクルート (pro. DOTAMA)
10, 栃木のラッパー (pro. Fragment)
11, こんなぶっ壊れた国で (pro. Jr,TEA from エンヤサン)

2015年6月17日水曜日

自称、世界一ピロートークが上手い女友達について《後編》

よって僕は女友達というやつを拗らせている。

病院のベッドってのはもっと快適なものかと思っていたけど、白が色いって事以外は特に何の変哲もない普通の代物だ。
僕のイメージとしてはボタン一つで機械的に上半身が起き上がるという魔法を使えるのが現代科学の為せるワザであるはずなんだけど、実際は手動でカタカタと音を立てて原始的にベッドを起こさないといけない。
夢見る僕が夢から覚めるための方法として憧れていたのが、目覚める時にその眠気と戦いながらボタン一つで上半身を起こすというやり方だ。そしてそれができたらどんなにいいか、二度寝を防止できるんじゃないかと二度寝の後悔を噛み締めながら、一日に二度はそう考えていた。
でも、僕は便利さや快適さに慣れてしまう人間の当たり前病をかなり恐れている節があって、上半身を起こせたとしてもそのうちその姿勢のままでエコノミークラス的な姿勢で二度寝するに決まってると思ってる。
それに怠け者の僕の事だ。ベッドの上半身を起こしても下半身側のゾーンに猫みたいに身体を丸めて退き、余裕で二度寝してしまう筈だ。
だから、僕は僕の病室のベッドが電動式じゃなくて本当によかったと思っている。

さて、僕がどうして病院のベッドなんかで寝ているのかって話に辿り着かせるために時間を少し戻そうと思う。
大学で遂に僕にも女友達ってやつができて、結構浮かれてたんですよ。
買い物に付き合ったりとか、飲みに行ったりとかして。
まあでも、会話の大半が彼氏の愚痴。
僕みたいなあんまりオラついてないタイプの人間には遠慮なく愚痴とか溢せるらしく、ちょうど半年ごとに変わる彼氏の話をその度にハイハイと聞いていた。
理系の大学だったから女の子が少なかったし、そういう点で言えばある意味、僕は勝ち組だったのかもしれない。
講義を受けるにも研究室に通うにも大体その子と一緒だったのだから。
彼女は口癖のように「私のピロートークは世界一上手い」なんて訳のわからない冗談を言っていた。
僕は彼女のピロートークなんて知る由も無いし、ホントにどうしようもなく女友達だった。
プロの歌手のようにマイクと口の間の距離を一定に保って、声の響き方に気を配っている。
例えば、僕が肉食的な積極性を持っていたらこの距離を縮められたのか?そもそも距離なんて縮める必要は無いし、僕はその女友達の事を恋愛めいた目線で見た試しもなかった。
彼氏の愚痴を聞いてあげて「じゃあ、別れればいいんじゃない?」とか言うだけ。僕は僕でそういう女友達がいるって事自体に感謝しているのだ。
気軽に話せる女友達が今まで一人もいなかったのだから、ここで調子に乗って恋人が欲しいですなんて言う気になれる筈がない。

そんな女友達と僕は同じ研究室に所属して、同じ教授のゼミに参加している。
彼女が紹介してくれる教授ならなんとか人見知りの僕でも話せるかなと思ったから、その研究室を選んだ。
それと理系の大学を一人プレイで乗り越えるのははっきり言って無理なので、見知った人ができるだけ多い場所に身を置く必要があったのもある。

そしてそれは大学四年生の時の研究室だった。五月だった。
その女友達は大きな荷物を持って、研究室に入ってきた。
卒業研究の途中経過のプレゼンの準備をしていたのはこの日は僕一人だけだったため、必然的に僕と彼女は二人きりになった。
ちなみに僕にとっては貴重な女友達ではあるが、彼女にとっての僕は複数いる男友達の内の一人なのだ。
彼氏だっている。
まあ、そんなわかりきっている事をわざわざ反芻した理由は彼女の不可解な行動に、20世紀少年の12巻を読んでいたら小さな紙切れが落ちてきた時くらい驚いたからだ。

彼女は五月だってのに、組み立て式の大きなクリスマスツリーを持ってきたのだ。
そして、研究室の入り口にカードキーを翳してロックをかけた。
「半年経っても十一月でしょ」
主語のない反応に困る言い方だった。
「とりあえず組み立てるのを手伝え」と言われたので、ノートパソコンのパワーポイントを上書き保存して、意識をそっちに向けた。
三分割されたツリーの根元を繋ぐとそれは彼女の身長くらいの大きさになった。
電飾の位置を整えて、コンセントから電気をもらうと蛍が群がったみたいにパレードを始めた。
改めて彼女は研究室のカーテンを閉めて電気を消した。夜と呼ぶにはまだ急ぎ過ぎな時間だったのは覚えているが、綺麗に閉鎖されたこの空間は明らかに夜だった。

「余命半年なんだな」
主語のない言い方で彼女がそう言う。
そして、泣く。
そうか!君が余命半年なら僕が死ぬまでそばに居てやる!なんて冗談みたいに意気込んだ所で、彼女は水を差す。
「お前は余命半年だ」
余命半年なのは僕だったのです。
「俺ってなんか病気なの?」
「病気なのはお前じゃない、私だ」
彼女が病気なのに、僕の余命が半年になる意味がわからない。
「私は恋多き乙女、恋してしまった相手は余命半年になってしまうという奇病を持っている」
「えっ?それで俺?」
「残念ながらクリスマスにお前の命は届かない。だから、今、祝う」

そんな経緯で僕は病院のベッドにいる。

僕の枕元で彼女は椅子に座ったままで好き放題に喋り続ける。
僕が死ぬまで喋り続ける。
「私のピロートークが世界一だってあながち嘘じゃないんじゃない?」って


2015年6月11日木曜日

自称、世界一ピロートークが上手い女友達について《前編》

思春期というやつを拗らせていたので、基本的に僕がハハノシキュウもしくは母野宮子としてやっている事は家族や友人や同級生や同僚や話した事すらなかったクラスメイトの女子に知られたくないと常々思っている。
ただ、隠し事や嘘が苦手な僕は隠し事をする時のポリグラフが揺れるような感じがとても嫌いなので、隠し事をするくらいなら最初から包み隠さず喋ってしまうタイプの人間だ。
家族はもちろんの事、ヒップホップなんぞなんの興味もない学生時代の同級生だって知ってる。僕と話した事すらない同級生たちが僕の映ってるユーチューブの画面を酒の肴に思い出話をしていたなんて話も聞いた事がある。
だから、こうやって好き放題に随筆を書きたいのにあの人には読まれなくないなとか、母親が欠かさずチェックしていたらとか考え出すとどんどんつまんない文章になってしまう。
リベンジポルノで捕まった大学生が「どうせ誰も見ないと思った」みたいな供述をしていたそうだ、
僕はこの文章を書きながら「どうせ誰も見ないと思ってる」
だったら好きに書けばいいだろう?なんて思う人がいるかもしれないが、後ろめたい事があるとかじゃなくてただ単に気恥ずかしいから自由に書けないのだ。
こんな事言ってちゃ、ラッパー失格だ。
内向的なリリックを書くのは好きだけど、私的なリリックを書くのは苦手なのです。
両方書けてこそのリアリズムだ。
蛇足だけど、あえて両方書かないのがポップスだ。

小学四年生から卒業までの三年間だけ同じクラスで、中学から別々の学校に通った友人がいる。
最後に会ったのは成人式の時で、共通の話題もないしこの先の人生で関わる事はないと思っていた。
まあ、こんな具合に実在の人物を召喚して、本人に読まれたら恥ずかしいなと思ってしまうわけですよ。
そんな彼は素晴らしく才色兼備(この四字熟語は女性を褒める時に使われる言葉だが彼は女性のような顔をしているため、ここではあえて使用した。まあ、つまりイケメンというやつだ)で僕の物差しで言うと、何かで天下を取れるタイプの人間の象徴みたいな奴なんだけど。
まあ、結論から言うと彼と再会して軽く居酒屋で飲み交わしたわけです。
急に彼からメールが来て、話を聞くとたまたま歩いていけるくらい近所に住んでいたから、飲みに行こうって話になったのですよ。
思春期を拗らせている僕からすれば、そのノスタルジーからできるだけ逃げたいわけで、彼が駅に現れるまでのあいだの緊張感はほんとエムシーバトルの一回戦先攻並だった。
実際に顔を合わせてしまえば割と話せるもんだけど、大体の久しぶりに会う人を相手にする時は最初に長髪で深くキャップを被っている見た目の説明から始めないといけない。
「こんな見た目でも大丈夫な会社で働いてる」と僕は答えた。
「俺、じつはラッパーなんだ」とは言えていない。
僕は酒を飲むと自分の話をする方が楽しくなるタイプなので、できるだけ話を聞くモードを心掛けるようにした。
僕みたいな引っ込み思案な人間ですら自分の話をしたくなるのだから、ほとんどの人間は自分の話をしたがっている筈だと僕は思っている。そのため、村上春樹小説の一人称の主人公みたいな気分で話を聞く側に立とうと構える。
大学四年生編までは僕の三角定規で言うところでエリートコースで、彼はそれなりの企業から内定をもらっていて順風満帆だった。
彼にこの文章を読まれた時の事を念のため考慮して、一行で終わるくらい端的に説明すると、「内定を蹴ってお笑い芸人を目指して挫折した」と彼は言っていた。となる。
このタイミングしかねぇ!と僕は暖めていたパンチライン。
「俺、じつはラッパーなんだ」を鮮やかな口調で切り出した。
この時、僕ら二人の間には二十四時間テレビが二十四時間かけても僕に伝えられなかった『絆』という感情が芽生えたのだった。
僕はハハノシキュウという恥ずかしい名前でラップをしてて、作品を幾つか世に出していて、今流行ってるエムシーバトルってやつでもまあまあ知名度を持ってると説明した。
アフロディーテファンクラブの『しらきや』という曲が頭に浮かびそうな気分で、鳥貴族の空気を吸っていると、隣のテーブルに金髪混じりの若者たちが向かってきてるのが目に入った。
なんか松本大洋の漫画に出てきそうなヤンチャな連中だなと思っていると、僕はアクエリアスの『ココ東京』のフックを歌うスウォードばりに面食らっちまうのだった。
「あれぇ?ハハノシキュウさんじゃないすか?写真撮らしてもらってもいいすか?」
「自分もシキュウさんの真似して自分のキャップを作ったんすよー」
とエムシーバトルってやつでもまあまあ知名度を持ってる僕に若者たちが話しかけてきたのだ。
写真がひと段落して、僕の前に座っているお笑い芸人を挫折した友人が「お前ってすげーんだな」と染み染みとした口調で言ってきたのが妙に印象的だった。
そんなシチュエーションを経験した事なんてないから印象的なのは当たり前か。

長くなってしまったがここまでが前口上。『愛のむきだし』で言うところの満島ひかりと出会ったあたりだ。

「最近、小学校の奴と会ったりしてんの?」と僕が聞いた所からそれは始まった。
彼は聞き覚えのある四人の名前を順番に並べた。
「なんでそうなったのかわかんねぇんだけど、定期的にその四人の女子会に参加する事になってる」
その四人というのは全員女子なのである。
しかも、中学に上がってから話せなくなった割と男にモテていた子たちだ。僕の中のヒエラルキーに視点を置くと見下げる側ではなく確実に見上げる側になってしまうようは子たちだ。
僕は中学高校と気軽に話せる女友達が一人もいなかったため、唐突に名前を聞いたリアルが充実してそうな四人と定期的に遊んでる彼をボーイズオンザランさながら羨ましく思った。
浅野いにおの漫画にすら登場できない程度の青春だった僕の自尊心は、青春を取り返しに行く妄想を始めた。
「今度集まるっつったら来れば?」
僕が妄想を始める前に彼がそんな事を言うもんだから、「まあ、行けたらね、話す事ないけど」なんてブサイク男子の真骨頂みたいなフレーズを炸裂させてしまい、とても恥ずかしい気持ちになる。
中学高校と同年代の女の子と気軽に喋れなかったせいで、今なら酒の勢いと粋なライムトークでなんとか話せるんじゃないかと意味不明な自信に辿り着く。
青春を取り返しに行く。
そんな妄想がほんのちょっとのリアリティーを持っただけで、やけにラズベリーブルーの草原に出たくなる気持ちに陥る。
ちなみにそんな女子四人はもう女子なんて呼べる年齢ではなく(僕と同い年なんだから当然である)
全員未婚で色々とくすぶっているらしい。
僕はこう見えても既婚者なので、とりあえず勝った!と意地悪く心の中で思ってやった。
僕の拙い文章によるこの心理描写が果たして他人様に伝わったのか、まるで想像すらできないが、なんとかしてこの感情をまとめると。
小学生の頃は割と普通に女子と話ができてた僕が、中学に上がってからはまるで話せなくなったという事実を背景に、当時からヒロインヒロインしていた女子たちと再会していざ話をできるとしたら僕はどうするだろう?って話だ。
イケメンの彼はそんな僕をよそに「彼女が欲しい」とか言ってるし、隣ではハハノシキュウを知ってる若者たちが若い酒の飲み方で暴れているし。
結局、その日以来、彼と連絡を取り合ってないし女子会の誘いだって一切ない。
でも、それくらいでちょうどいいと思う。
AmazonでエムシーバトルのDVDを買おうかどうか悩んでる時間が一番幸せなのと同じように。

ここでこの随筆が終わったと思ったら残念賞。
今はまだShing02の緑黄色人種で言う所のディスク1を聴き終わった所だ。

2015年5月20日水曜日

5thホイール2ザ・コーチ

AM0:00

人生が夜の十二時から始まって翌日の十二時で終わるものだとしたら、僕の人生なんてまだ夜明け前です。

それにしても気持ちというやつは大事な大事な集中力を奪い、何かにつけて邪魔をしてくる。
例えば、『宮本から君へ』という漫画に「人は感動するために生きてる」という台詞がある。
気持ちが平穏な時の僕はこの漫画を読み、気持ちが揺さぶられ「人は感動するために生きてる」というフレーズを座右の銘にしたいくらい感銘を受ける。
ところが、気持ちが斜め下に傾いていたり、iPhoneで音楽をシャッフルで聴いている時になかなか一曲ずつ集中して聴けなくて、次曲にスキップばかりを押し続けて落ち着かない気持ちの中にいると。
「「人は感動するために生きてる」なんて言ってる奴を僕は軽蔑する」という独白が心に浮かんでくる。
本当に困った事に筋の通った人生哲学など絶対にあり得ないのだ。

珍しくどうしても妥協できない事があって、それをラブレターの返事を待つように口にしてしまったら、沈黙を守られてしまう時の感情のせいで、せっかくの眠れそうな夜を台無しにして、聴きたい音楽も見つからず、観たいテレビもユーチューブも見つからず、携帯電話を無心で弄るのも嫌になってくる。

私って変ですか?
ネット上でそんな確認を他人に繰り返す孤独感は変じゃない。
こういう事がありました。おかしいのは私なんでしょうか?
場合によっちゃ、そうだよお前が絶対におかしいって即断できるけど、本当に自分がおかしいのかわからない状況になったら、ってそういう類の冷静さは後から思い返すとやっぱり笑っちゃうくらいに当たり前に感じたりする。
こういう気持ちが徐々に風化していくなら、やっぱり今は深夜なんだって思う。
判断能力が鈍くなってる深夜だと。

朝が来たら朝が来たで朝がぼんやりして頭が回らない。
人生は夜の十二時から始まって、「一睡もできないまま」で翌日の十二時に終わる。
だから、徹夜明けの昼間なんて意識が朦朧としてるに決まってる。
今は徹夜明け前の夜明け前。
少し眠いけど意識ははっきりしてる時間。
せっかく時間があったのに勉強もできず、睡眠もとれず、創作もできず、後悔みたいな奴を首に巻き付けてる。

そして、そんなラブレターみたいな奴の返事が来てみたら、別にそんな悩むほどの内容じゃなくて肩透かしを食らった気分になる。
そんな感動のために生きてるのかと思うと、それが良いのか悪いのかすら判断できなくて、誰かに確認してみるけど、また返事が来なくなって、それを繰り返す。
大丈夫か、この思考回路。
承認欲求があるんだろうか。
なんという自分語り。
つまりこれはあれだ。自分の曲のプリプロを聴いてる時みたいな正常にこれが良いのか悪いのか判断できない感じだ。
プロはそこを判断できるんだろうけど、僕はできないね。

夜明け前だからしょうがない。
そうに決まってる。
今日の夜にはきっと呆けちゃってるんだ。


AM8:00

2015年5月18日月曜日

ドッジボール・キャノンボール

ドッジボールが始まってすでに三十分は経過したと思う。
内野は僕一人となってしまい、ボールをひたすらに避けながらiPhoneで下向きにこの文章を書いている。
僕が一向にボールをキャッチしない事に味方側の外野が舌打ちをしている。
人生を豊かにするために僕はそれを全く気にしないのだ。

さて、そんな僕が今にもボールに直撃されてiPhoneの画面にヒビを入れてしまいかねない状況においても、こうして打ちたがる文章とは何なのか。
家に居て寝転んでしまうともう何もかもやる気が出なくなってしまう。
だから、やる気があったとしても亀が首を引っ込めるようにその姿を確認できない。
そういう意味で今のこのドッジボールの球を避けている状況こそが素晴らしき集中力を生み出しているのだ。

自分の好みとか価値観がはっきりしている事に違和感のある僕は、今日もどっちつかずの人生を歩んでいます。
人生論なんか語るな。
自分にそうやって言い聞かせています。
こうやってドッジボールで最後まで残ってる自分って特別なんじゃん?って一切考えないようにして。
何者でもない事への喜びを綴れる分だけ綴ってしまえ。と。

トラウマって程じゃないけど、瞼の裏に焼き付いて、思い出す度に少し気持ちが落ちる映像ってのが幾つかある。

まだ小学校に入ったばかりの頃に、一回だけ夜更かしをした事がある。
確か午後十一時くらいだったと思う。
僕は猫背のままテレビを眺めていた。
子どもの僕が興味をそそられるような番組はやってなくて、病名は知らないけどとにかく闘病してるおじいさんのドキュメントでチャンネルは固定されていた。
そのおじいさんは喉に大きな穴が開いていてそこに管を通されていた。
子どもながらにショッキングな画だった。
しかも、水泳が趣味だと言って喉に専用の管と機械を巻きつけて、プールに飛び込んだりしていた。
喉に大きな穴があって、泳いでいる。
それが妙に怖くて僕はその夜、全く眠れなくなってしまった。
だから夜中にテレビを観る事を一切やめた。
トゥナイト2とワンダフルに興味を持つまではやめた。

あと、こんなのもある。
これは割と最近の話だけど、妻に先立たれたおじいさんのドキュメント。
(つーか、おじいさん多いな)
今住んでいる借家は来年の春に返さないといけないらしく、住む家がなくなるという。
おじいさんは毎日、妻が演劇をやっているビデオテープを繰り返し観ているらしい。
細かい内容は忘れたけど、だいたいそんな感じ。
僕が鮮明に覚えてるのは別の場面で、それは食事風景だ。
そのおじいさんは毎日、白ごはんに牛乳をかけた牛乳ごはんを食べるのだ。
その食べてる姿がなんでかショッキングに感じてしまって、忘れたくても忘れられない。

別に共感を求めてる気は全くないけど、そういうなんか心に引っかかって、妙に溜息っぽくなってしまう場面があるのです。

今んところ、僕を撮るドキュメンタリーは存在しない。
何者でもない事への喜びを今の内に堪能しなくちゃいけない。

そう言えば、ドッジボールで思い出した。
小学生の頃、ドッジボールは首から上に当たったらセーフというルールがあって、みんな首から下を狙うように球を投げていた。
誰だったか忘れたけど、運動神経のいい奴が全力で投げた球が、女子の顔面に漫画みたいに直撃した事があった。
先生は彼女に対して「セーフ」と言った。
僕は「どこがセーフなんだよ?」と思ったけど言わなかった。
その直後の女子の泣き声が尋常じゃなかったのはよく覚えてる。
結局、保健室に連れて行かれたから彼女はセーフにならなかった。
後々、聞いた話によるとそのぶつけられた女子はぶつけた男子に片想いをしていたらしい。
こういう細かい所は覚えてるけど、それが誰だったのかはぼんやりとしていて思い出せないけど、まあそんな感じ。

それにしても僕は球を避けるのが上手い。
まるで当たらない。
球を避けるにはコツがある。
投げる奴の目線を気にしない事。
ボールだけを集中して目で追う事。
慣れてくるとこうやってiPhoneをいじりながらでも、ボールを投げてくるタイミングの法則性がわかってくれば、投げた瞬間にちょこっと移動するだけで避けれる。
靴と体育館の床にが擦れる音を合図にして、ちょこっと身体を逃がしてやるのだ。
それを繰り返すだけで、まあまあいける。
そして、たまに相手が手を誤ってワンバウンドさせてしまったらそれをキャッチする。
外野の人間が敵の内野に当てたらその人間は復活できる。
だから、外野はみんな僕にパスを乞うのだ。
利害を考えると外野が敵を一人倒して生き返れるのだから、2ポイント分のお得感があるし、敵も敵で外野を経由した攻撃しかこの場面じゃあり得ないと思っている。
だから、僕は左サイドの外野に向けて身体をねじり、パスをするのとおんなじフォームで目線は外野に向けたまま、敵の内野にボールを投げる。
すると、意表を突かれた敵は簡単にキャッチできるはずの僕の肩力のない投球にすらアウトをとられてしまうのだ。
ただ、その後は敵の内野からボールが始まるので、外野の味方からブーイングの嵐だ。

そんな事とは特に関係なく、僕は手を滑らせて機種変更を済ませたばかりのiPhoneを床に落としてしまった。
メジャーレーベルから出てるフルアルバムを一枚買えるくらいの値段の保護フィルムを貼っていたおかげで、少しだけヒビが入る程度で済んだ。
と、ポジティブに捉える事は可能だが、本音を言えば買ったばっかのiPhoneに傷が付いてとても悲しい。
人生を豊かにしたいけど僕はそれが気になってしょうがないのだ。

2015年4月22日水曜日

虫食い問題

乗っていたエレベーターが止まってしまって、助けてもらえるまで暇潰しの文章を書いている。

僕は小学三年生の時に転校を経験しているのだが、転校する前の小学校が思い返せば変だったなって話でもしようと思う。
転校と言っても同じ市内で、具体的に名前を出せば西小学校から北小学校に転校しただけなので、会おうと思えば旧友に会えるような距離の転校だった。

小学校低学年という魔法のせいなのか、西小に居た頃の僕はとにかく虫を殺していた。
クラスの男子のほとんどが虫を殺していた。
バスケ部がレイアップシュートをするように殺していた。
バ◯タ、コオ◯ギ、ト◯ボ、テント◯ムシ、手当たり次第に殺していた。
◯澤君なんて、ト◯ボの羽を両端にして持ったまま真っ二つに引き裂いて口に入れたりしていた。

僕が転校した北小学校にはそんな事をする人間なんて一人もいなかった。
最初は、西小学校の友人に電話をしたり、僕の新居に招いたりしていたが、その内まるで音沙汰がなくなった。
僕も僕で音沙汰がなくなった事すら忘れて、北小学校で虫を殺す以外の遊び方をたくさん学んだ。

ちなみにこの頃、巷では『スラムダンク』が大流行していて誰もがバスケを始めたい症候群に巻き込まれていた。
北小学校にはバスケ部がなくて、サッカーに力を入れている学校だった。
逆に西小学校にはサッカー部がなくて、バスケ部があった。
小学四年生になって、僕も初めて部活動というものを体験するが、僕が選んだのはサッカーでもバスケでもなく卓球だった。
バスケをしたいなんて言ってる奴は大体がサッカー部に入った。
僕が虫を殺すのをやめて、サッカー部を皆殺しにしようとした話はまたの機会にしようと思う。

僕の家の目の前にはバスケをするためのゴールとコートが備え付けられた公園があって、いつ見てもバスケ少年たちで賑わっていた。
自分の部屋からその光景が見えるってのも考えもんだ。考えなかったけど。
その日は日曜日だったと思う。僕は眠かった。
ぼんやり公園のバスケットコートを二階の部屋から眺めていると、窓の下から何やら騒がしい声が聞こえる。
そこに居たのは◯澤君率いる、西小学校時代の友人だった。
玄関まで下りていくと、奴らは全員バスケットボールを自転車のカゴに入れていて、せっかく一階まで下りたのに僕は同じ目線になれなかった。
みんなバスケ部に入ったらしい。

公園の横にはこれから新しい住宅が建つ事を暗示した空き地がたくさんあり、僕は気を利かせたつもりで「そういや、ここにはたくさんのカ◯キリが出るんだぜ、殿様バ◯タだってたまにいる」と虫の話を振った。
すると、奴らは全員バツの悪そうな顔を浮かべていて、木◯君がこう言った。
「もう、俺らは虫を殺せないんだ」
「えっ?どうして?」
「バスケ部の顧問の先生に言われたんだ、虫を一匹でも殺したら強制退部だって」
どうやら僕が転校した後も飽き足らずに虫を殺しまくっていたらしく、学校で軽く問題になったみたいだった。
僕が提唱していた「虫を殺すのは小学校低学年特有の魔法だった説」は見事に却下された。
◯澤君はそれ以来、ト◯ボを口に入れていないらしい。
ア◯は酸っぱい!なんて言っていた頃の彼はもういない。
アマ◯エルの皮を剥いで「珍しい色のカ◯ルを見つけた!」なんて言っていた彼はもういない。

僕はとりあえず彼らに着いてバスケットコートまで行った。
やっぱ、バスケ部ってすげぇなって思った。
もう二度とバスケをしたくないって思うくらい動きのキレが違った。
まあ、卓球だったら僕が逆の立場にしてやれたけどな。
僕が西小学校の奴とまとも話をしたのはこれが最後だった。

のちに高校がたまたま◯澤君と一緒だったけど、彼とは一言も喋らなかった。
別に仲が悪いとかじゃなくて、クラスのある階が違っただけ。

よって、エレベーターは上る事もなく下る事もなく、目線は変わらずに止まったままなのだ。