2016年9月24日土曜日

もやもや

※僕の話は事実を誇張した上で成り立っている。

まだ僕が軽自動車を所有していた頃、車内では常にラップしていた。常にフリースタイルをしていた。
僕は一人きりで運転をしている時、ほぼほぼフリースタイルをしていたが、例外が二つだけあった。
一つ目は、柏市のタワレコかディスクユニオンへ行き、そこで買ったCDを聴く帰り道。
そして、二つ目は誰かと電話をしている時である。
当時はガラケー全盛の時代で、LINEなんてなかったから、長電話をするには金がかかった。
僕が年齢をとったからなのか、無料で通話できるようになったからなのかはわからないが、金がかからなくなると長電話そのものをしなくなった。
逆に当時は割と誰とでも長電話をした。人の顔を見て喋れない僕にとって、声だけの世界がちょうどよかったのかもしれない。
長電話をするきっかけも正直、よくわからない。道具的な用事があって電話したついであれもこれもとフリースタイルのように話題が出てきてしまうためだろうか。
長電話をする場所は決まって軽自動車の中だった。
通話をしながら運転をするのは違反だが、軽薄でモノの価値がよくわかってなかった当時の僕はあんまりそれを気にしていなかった。パトカーが見えたら膝下に電話を隠すくらいのもので、専用のイヤホンは買おうと思ってはいたけど、結局は金がなくて買わなかった。

千葉県の片田舎に住んでいたもんだから、千葉大学に進学した頭のいい地元の友人とはそれをきっかけにして二回くらいは長電話した。そして、二回くらいは遊びに行った。
そいつは、風俗店の味を覚え始めたらしく、下世話な話を下世話に聞こえない口調で話した。
中学の時からそうだったが、彼はあんまりスケベに見えないスケベだった。だから、彼がエロ本や官能小説を学校に持ち込んでも、彼の成年指定に対する態度と、教科書に対する態度があまりにも同列だからいやらしく見えないのである。
だから、風俗の話を始めたところで、奴はガールフレンドの話をするのと本当に変わらない温度になるのはわかっていた。
「やっぱり、おっぱいパブが一番いいっていう結論になった」
奴は大学論文のレジュメを説明するかのようなフラットな言い方で切り出した。
「やっぱりゴールまでいっちゃうと、気持ちが変わっちゃうんだよ。変わらない気持ちを最大限まで高めてそのまま帰るのが、一番幸せだって悟った」
僕は聞き上手な方じゃないけど、運転しながらだと妙に心地よく人の話が聞ける。
「例えばさ、嫌いじゃない人から告白されて付き合ったとする。付き合っていくに連れて嫌いになって別れたら悲しいじゃん。でも、嫌いじゃない人からの告白を断ったとするよ?したら、「あん時、付き合っておけばよかったなぁ」って物思いに耽る瞬間があると思うわけ。そういう時のもやもやってなんか幸せじゃない?」

じつはこの時、奴が言っていた事に僕は本人以上に共感していたと思う。
今もそれは継続中だけど、僕は風俗店にもキャバクラにも行った事がない。一回もない。
「俺は、おっぱいパブに行った事すらないっていうもやもやを持ち続けてる、最高に幸せな気分だ」
「いや、それは行った方がいいよ」
奴は、論理的な同調よりも、感情的な同情を優先しやがった。
「いや、だから行った事がない俺が、お前の行った話を聞いて、想像するわけ。それでよくない?一見よりも百聞を選ぶよ」
ちなみに僕は同じ理由でパスポートを持っていない。一度も外国に行った事がない。
「いやさ、おっぱいパブの帰り道のもやもやとさ、そのもやもやは違うと思うよ?おっぱいパブの帰り道のもやもやを体験してもらわないとさ。それに、俺はおっぱいパブ以外の風俗も体験してるわけ。体験した上でここに戻ってきてる。だから、もやもやの次元が違うはず!」
こんな風に変に頭のいい奴だから、僕は返す言葉がなくなって正直困った。
そもそも僕は議論が苦手なのである。




































「ごめんごめん、今パトカー通ってさ」
「なんかもやもやするなぁ、」






2016年9月20日火曜日

記録してないシリーズ

※基本的に僕の物語はフィクションです。


「だからね、ラッパーだからこそ自分の事をラップするべきじゃないと思うわけ」
僕は妻にそう言った。

僕には昔から結婚願望がなくて、何ていうか一つの諦めを表現する戯れ言として「俺はナンバーガールを好きな女としか結婚しない」と息巻いてきた。
その度に、ナンバーガールを知らない大学の連中にはポカンとされ、ナンバーガールを知ってる冴えない地元の男友達には「そんな女いねぇよ」と言われてきた。

今でこそ、東京で音楽活動をしているからこそナンバーガール好きな女性とたくさん知り合えたけど、僕が田舎で高校までくすぶった挙句に、理系の大学で音楽好きな人間を見つける事が出来なかったその道程にはナンバーガールを聴いてる人間が本当にいなかった。
ましてや、思春期から女子と喋るのが極端に下手になってしまったもんだから、仮にナンバーガール好きな女の子がいたとしても僕なんかが知り合えるはずがない。
せっかく、大学で女の子と少しずつ喋れるようになってきたのに、大学にもバイト先にもナンバーガールを知ってる女の子は一人もいなかった。
だから、僕は「ナンバーガールが好きな女じゃない結婚しない」と心に誓ったのである。
さっきも言ったが、これは「結婚なんか一生してやるもんか!」という諦観を格好よく言い直しただけのものだ。

ただ、人生、マジで何があるかわかんないもので、ひょんな事で今の妻と知り合う事になる。
この辺の馴れ初めに全然面白くないから割愛するけど、妻はいわゆるサブカル女子(死語)というやつだった。
僕の狭い狭い交友関係、カーストの低さから見た世界には、そんな子が一人もいなかった。
だから、サブカル女子ってのはメディアとインターネットがでっち上げた架空の存在だと思っていた。
そんな僕の妄想に反して、妻は出会ったその日に行ったカラオケで、いきなり銀杏BOYZの「べろちゅー」を歌い出した。
その時はぶっちゃけ、何かの夢かよ!と思って体中の痛い場所を数箇所、確認した。
妻がこの日、ナンバーガールを歌ってくれたら、死ぬかもしれない。僕はそう思った。
死ぬかもしれないと思った矢先に妻は「delayed brain」を入れた。
だから僕は死んだ。
まるで、モテキの藤くんだ。

ナンバーガールをカラオケで歌うなら、「透明少女」とか「鉄風、鋭くなって」とかが相場だと思っていた。というか、「透明少女」くらいしか選択肢ないでしょ、なんて思っていた。
もう完全に思考がモテキの藤くんである。

まあ、そんなこんなで僕は結婚に至る。

「だからね、ラッパーだからこそ自分の事をラップするべきじゃないと思うわけ」
僕は妻にそう言った。

「お前のラップなんかどうでもいいわ。お前は『マンガ道』や『アオイホノオ』や『僕の小規模な生活』みたい自伝的なラッパーの小説でも書いてろ」

妻はそう言いながら、シン・ゴジラの第二形態のフィギュアを色んな角度から眺めていた。



2016年9月17日土曜日

真夜中の爪切り


小学一年生か二年生くらいの頃だと思う。
僕には感情がなかった。
感情がなかったと書けばそれは言い過ぎだけど、何ていうか他人の感情を自分の事のように受け止めるのが下手だった。
その当時、僕が住んでいた借家は少しばかりだが、失敗していた。
トイレのドアと台所のドアが90度の角度で隣り合っていて、両方のドアを同時に開放できないのである。だから、台所のドアを開放するとトイレのドアは開かなくなり、トイレのドアを開放すると台所に行けなくなる。
これは今でも母親に「あの時は、」と皮肉を込めて言われるのだが、まあ母親のトイレ中に台所のドアを開けっ放しにしたまま、僕は居間でスーパーファミコンを始めてしまったのである。
台所のドアがきっちくりとトイレのドアの前に嵌って、内側から開けるのはどう考えても不可能だった。
当時は携帯電話なんてものはないから、もう声を出すしかない。母親が何度も繰り返し僕の名前を呼ぶ。
正直、あんまり覚えていないのだけど、僕はその母親の咆哮をまるで気に止めていなかったらしい。
完全に母の声を無視し、テレビゲームに熱中する。
しかも、僕はこの話の結末を知らない。
どうやって母がトイレから脱出し、妹と弟を保育園まで迎えに行ったのか、全く記憶にないのだ。(保育園よりも小学校の方が終わるのが早かった)

僕はあんまり感情を表に出すタイプの子どもではなかったし、冒頭で書いたようにひょっとすると本当に感情が無かったのかもしれない。
僕が3歳の時に妹が生まれ、僕は母が入院したその夜からずっと一人で寝ている。特に寂しいとか感じた記憶はないし、むしろ誰かと同じ布団で眠るのが苦手だったんだと思う。
僕は幸いな事に結婚をしているが、妻とは寝室が別々である。
真夜中のトイレに行くのも、苦心した記憶がない。祖母の家のトイレが屋外にあるボットン便所ってやつで、さすがに夜中にそこへ行くのは怖かったが、それはボットン便所の中に落ちてしまう事への恐怖だったと思う。

とにかく、妙に無関心な子どもだった。興味を持たないものは、手付かずのぬり絵帳のように真っ白だった。
爪切りと耳掻きを他人にやってもらうのが苦手で、小学校に入ったくらいから一人でやるようになった。
特に爪切りは、絶対に自分でやらないと気がすまなかった。それには理由があって、僕は生まれつき爪の形が人と違っていて、爪の裏に皮膚がアメーバのように伸びて付いてきているのである。なので、それを理解していない人が僕の爪を切ると、僕は皮膚を切られた状態になり悶絶するのである。
僕が思春期にギターを弾く前に挫折したのはこのためだ。深爪が出来ない指先の形が、綺麗だなんて言われる事が多かったけど、なんとも思わなかった。

「爪は朝に切れ」と母が僕によく言った。
月曜日の朝である。
僕は眠いから、それを嫌がった。
日曜日の夜に切ろうとすると今度は母がそれを嫌がった。
「親の死に目に会えなくなるぞ」と母は言ったが、当時の僕はその意味がわからず聞き流していた。
「オヤノシニメ」というワードがすんなり脳に入ってこなかったんだと思う。
ただ、無関心ながらに恐怖を感じたのはよーく覚えてる。
夜に爪を切ったらどうなるか、試してみたくなるのが子ども心だ。
それはまるでバタフライエフェクトの如く、世界に何らかの影響を与えるのかもだなんて思ったり思わなかったり。
ただ、まだ世界の因果律を知らない僕にすれば、ルールも知らないものをいきなり試すのはさすがに怖すぎる。だから、爪を切らずに爪切りを眺める所から始まった。真夜中に。

二段ベッドの上の段に寝ていた僕は、枕元の読書灯の下に爪切りを置き、ただただそれを眺めていた。
十二時を回るまで頑張ろうとするも、絶対にその前に眠ってしまう。というか十時が限界だった。
真夜中、トイレのために起きる際も爪切りに目をやる。夜の爪切りにはきっと何か秘密があるに違いない。そんな妄想が当時の僕を文字通り夢中にさせた。
小指の爪だけでも切ってみようかと思い立ったものの、下の段では家族が寝ていて、爪切りが立てるパチンという音がこの静寂に不釣り合いに残響するであろう事を安易に想像出来た。きっと、あの音一つでみんなを起こしてしまうだろう。それに僕の爪は他の人のそれよりも硬く、その分パチンの音量が大きいのも自覚していた。

僕があまりにも爪切りに執着しているもんだから、親からすればオモチャを一つ与えたような気分になったらしく、特に何も言っては来なかった。
僕は基本的に大人しい子どもだったから、その大人しい子どもが何かに夢中になってくれてるだけで、仕事が一個減るのである。だから、妹と弟の相手に集中出来る。
1週間くらいで飽きるだろうなと自分でも思っていたけど、カレンダーをめくる毎に増していくのは「夜に爪を切ったらどうなる?」っていう好奇心だけだった。
夜に爪を切ったら何かしら悪い事が起きる、それくらいの認識だったけどその何かしらが気になってしょうがなかった。
「オヤノシニメ」という言葉を理解しないで適当に聞き流していたから、不謹慎さとかの類の感情は持ち合わせていなかった。感情自体があったかどうか怪しいが。

子どもってのは自分ルールみたいなのがじつに適当で、非論理的な生き物である。
ある日、急に「足の指の爪だったら別にいいんじゃね?」と思い立ち、その夜爪切りを片手にそそくさとトイレに入った。
電気のついていないぼやけた台所を抜け、何とか生活の勘でトイレに辿り着く。パチンと鳴ってもまあ大丈夫だろう。
そして、洋式便器に座った僕は右脚の親指を引っ張り硬い体に近付けた。

パチン。

こんな風に何も起きないって事を実体験として重ねていき大人になるのだ。と何処か冷めた気持ちで独白しながら、したくもない小便をしてアリバイのようにそれを流した。
寝室に戻ろうとトイレのドアを押してみる。

開かないのである。

台所を通る時に何かにぶつかったような気はしていたが、偶然にも台所のドアがトイレのドアに重なるように絶妙なスピードで僕を閉じ込めたのだった。
そして、僕が優先させたのは物音を立てない事だった。親を起こすという選択肢がなかった。他人の手を煩わせるのが凄く億劫だと感じるのはじつは今も変わっていない。
どうやってトイレから出るか、それをあんまり考える気がなかった。時計もないからどれくらい時間が経ったかわからない。
ドアをガンガン叩いて親を起こすのは僕的にナンセンスな行為だけど、ちびちびと爪を切ってその度に鳴るパチンという音がたまたま母親の耳に届くというプロセスは有りだと思った。その二つにどんな差があるのか、言葉にしづらいがたまたま起きてくれるくらいが一番いいなと思っていた。

それから、僕はすべての指の爪を切り終わり、妙にスッキリした気分で座り込んでいた。
あんまり物音を立てないようにドアの隙間から指を出して、台所のドアに触れてみた。
中指を引っ掛けて閉まる方向に力を入れたら、なんか笑っちまうくらい簡単にドアが定位置に戻った。
最初からこうすればよかった。
僕は自分の諦めの速さを嘲った。

翌晩、僕は急にコツを掴んだらしく口笛の吹き方を習得した。
諦めずに吹き続けたのが幸いしたらしい。
音程の操作は出来ないが、音が出るというだけでやり遂げた気分になった。
そんな僕に母親はこう言った。
「夜に口笛を吹くと蛇が出るからやめなさい」