2016年9月17日土曜日

真夜中の爪切り


小学一年生か二年生くらいの頃だと思う。
僕には感情がなかった。
感情がなかったと書けばそれは言い過ぎだけど、何ていうか他人の感情を自分の事のように受け止めるのが下手だった。
その当時、僕が住んでいた借家は少しばかりだが、失敗していた。
トイレのドアと台所のドアが90度の角度で隣り合っていて、両方のドアを同時に開放できないのである。だから、台所のドアを開放するとトイレのドアは開かなくなり、トイレのドアを開放すると台所に行けなくなる。
これは今でも母親に「あの時は、」と皮肉を込めて言われるのだが、まあ母親のトイレ中に台所のドアを開けっ放しにしたまま、僕は居間でスーパーファミコンを始めてしまったのである。
台所のドアがきっちくりとトイレのドアの前に嵌って、内側から開けるのはどう考えても不可能だった。
当時は携帯電話なんてものはないから、もう声を出すしかない。母親が何度も繰り返し僕の名前を呼ぶ。
正直、あんまり覚えていないのだけど、僕はその母親の咆哮をまるで気に止めていなかったらしい。
完全に母の声を無視し、テレビゲームに熱中する。
しかも、僕はこの話の結末を知らない。
どうやって母がトイレから脱出し、妹と弟を保育園まで迎えに行ったのか、全く記憶にないのだ。(保育園よりも小学校の方が終わるのが早かった)

僕はあんまり感情を表に出すタイプの子どもではなかったし、冒頭で書いたようにひょっとすると本当に感情が無かったのかもしれない。
僕が3歳の時に妹が生まれ、僕は母が入院したその夜からずっと一人で寝ている。特に寂しいとか感じた記憶はないし、むしろ誰かと同じ布団で眠るのが苦手だったんだと思う。
僕は幸いな事に結婚をしているが、妻とは寝室が別々である。
真夜中のトイレに行くのも、苦心した記憶がない。祖母の家のトイレが屋外にあるボットン便所ってやつで、さすがに夜中にそこへ行くのは怖かったが、それはボットン便所の中に落ちてしまう事への恐怖だったと思う。

とにかく、妙に無関心な子どもだった。興味を持たないものは、手付かずのぬり絵帳のように真っ白だった。
爪切りと耳掻きを他人にやってもらうのが苦手で、小学校に入ったくらいから一人でやるようになった。
特に爪切りは、絶対に自分でやらないと気がすまなかった。それには理由があって、僕は生まれつき爪の形が人と違っていて、爪の裏に皮膚がアメーバのように伸びて付いてきているのである。なので、それを理解していない人が僕の爪を切ると、僕は皮膚を切られた状態になり悶絶するのである。
僕が思春期にギターを弾く前に挫折したのはこのためだ。深爪が出来ない指先の形が、綺麗だなんて言われる事が多かったけど、なんとも思わなかった。

「爪は朝に切れ」と母が僕によく言った。
月曜日の朝である。
僕は眠いから、それを嫌がった。
日曜日の夜に切ろうとすると今度は母がそれを嫌がった。
「親の死に目に会えなくなるぞ」と母は言ったが、当時の僕はその意味がわからず聞き流していた。
「オヤノシニメ」というワードがすんなり脳に入ってこなかったんだと思う。
ただ、無関心ながらに恐怖を感じたのはよーく覚えてる。
夜に爪を切ったらどうなるか、試してみたくなるのが子ども心だ。
それはまるでバタフライエフェクトの如く、世界に何らかの影響を与えるのかもだなんて思ったり思わなかったり。
ただ、まだ世界の因果律を知らない僕にすれば、ルールも知らないものをいきなり試すのはさすがに怖すぎる。だから、爪を切らずに爪切りを眺める所から始まった。真夜中に。

二段ベッドの上の段に寝ていた僕は、枕元の読書灯の下に爪切りを置き、ただただそれを眺めていた。
十二時を回るまで頑張ろうとするも、絶対にその前に眠ってしまう。というか十時が限界だった。
真夜中、トイレのために起きる際も爪切りに目をやる。夜の爪切りにはきっと何か秘密があるに違いない。そんな妄想が当時の僕を文字通り夢中にさせた。
小指の爪だけでも切ってみようかと思い立ったものの、下の段では家族が寝ていて、爪切りが立てるパチンという音がこの静寂に不釣り合いに残響するであろう事を安易に想像出来た。きっと、あの音一つでみんなを起こしてしまうだろう。それに僕の爪は他の人のそれよりも硬く、その分パチンの音量が大きいのも自覚していた。

僕があまりにも爪切りに執着しているもんだから、親からすればオモチャを一つ与えたような気分になったらしく、特に何も言っては来なかった。
僕は基本的に大人しい子どもだったから、その大人しい子どもが何かに夢中になってくれてるだけで、仕事が一個減るのである。だから、妹と弟の相手に集中出来る。
1週間くらいで飽きるだろうなと自分でも思っていたけど、カレンダーをめくる毎に増していくのは「夜に爪を切ったらどうなる?」っていう好奇心だけだった。
夜に爪を切ったら何かしら悪い事が起きる、それくらいの認識だったけどその何かしらが気になってしょうがなかった。
「オヤノシニメ」という言葉を理解しないで適当に聞き流していたから、不謹慎さとかの類の感情は持ち合わせていなかった。感情自体があったかどうか怪しいが。

子どもってのは自分ルールみたいなのがじつに適当で、非論理的な生き物である。
ある日、急に「足の指の爪だったら別にいいんじゃね?」と思い立ち、その夜爪切りを片手にそそくさとトイレに入った。
電気のついていないぼやけた台所を抜け、何とか生活の勘でトイレに辿り着く。パチンと鳴ってもまあ大丈夫だろう。
そして、洋式便器に座った僕は右脚の親指を引っ張り硬い体に近付けた。

パチン。

こんな風に何も起きないって事を実体験として重ねていき大人になるのだ。と何処か冷めた気持ちで独白しながら、したくもない小便をしてアリバイのようにそれを流した。
寝室に戻ろうとトイレのドアを押してみる。

開かないのである。

台所を通る時に何かにぶつかったような気はしていたが、偶然にも台所のドアがトイレのドアに重なるように絶妙なスピードで僕を閉じ込めたのだった。
そして、僕が優先させたのは物音を立てない事だった。親を起こすという選択肢がなかった。他人の手を煩わせるのが凄く億劫だと感じるのはじつは今も変わっていない。
どうやってトイレから出るか、それをあんまり考える気がなかった。時計もないからどれくらい時間が経ったかわからない。
ドアをガンガン叩いて親を起こすのは僕的にナンセンスな行為だけど、ちびちびと爪を切ってその度に鳴るパチンという音がたまたま母親の耳に届くというプロセスは有りだと思った。その二つにどんな差があるのか、言葉にしづらいがたまたま起きてくれるくらいが一番いいなと思っていた。

それから、僕はすべての指の爪を切り終わり、妙にスッキリした気分で座り込んでいた。
あんまり物音を立てないようにドアの隙間から指を出して、台所のドアに触れてみた。
中指を引っ掛けて閉まる方向に力を入れたら、なんか笑っちまうくらい簡単にドアが定位置に戻った。
最初からこうすればよかった。
僕は自分の諦めの速さを嘲った。

翌晩、僕は急にコツを掴んだらしく口笛の吹き方を習得した。
諦めずに吹き続けたのが幸いしたらしい。
音程の操作は出来ないが、音が出るというだけでやり遂げた気分になった。
そんな僕に母親はこう言った。
「夜に口笛を吹くと蛇が出るからやめなさい」