2016年10月1日土曜日

太陽の季節


※一部、歌詞を忘れてテキトーに歌ってます

とりあえず、少しだけ本音を書くと、ボクラッパーダケド最近しんどいです。泉まくらballoon的な嫉妬心がいい年齢になってもグワングワン広がって、僕のプールを汚染してくる。
別にメンがヘラヘラしてるってわけじゃないけど、僕の思う以上に僕の指針みたいなやつは曲がってきてんのかもねと目を細めたりする。吉祥寺駅前のバス停で待ち時間が二十分くらいあって、僕は僕のそういうモヤモヤしたやつとその時間を利用して向き合ってみてるわけ。
例えばね、第10回高校生ラップ選手権をようやく観た時のこと。二回戦のMC☆ニガリvsT-Pablowの一本目が一番好きな試合だったんだけど、判定の時の空気で“あれはMC BATTLEじゃない”っていう価値観もあるんだ!ってすげぇ衝撃を受けたんですよ。
言いたいことを言いたい時に言えるようなやつはそもそもラップもバトルもする必要もないし、観る必要もないでしょ?なんていう僕の指針が狂ってんだろうなって。
はっきり言ってこれはあの場面に対するディスでもクレームでもなんでもなくて、単純に“人の持ってる強さ”ってなんなんだろね?って感じたわけですよ。
あと、ラップ選手権とは関係なく、売れたくて頑張ってるラッパーは結構結果を出したりしてて、すげぇなぁって思う反面で自分がライター仕事しか最近してないことに反吐が出そうになる時もたまにあって。
多分、この気持ちはそのうちリリースされる新しいアルバムを経て少しずつ解消はされると思うけど。11月にも一つ発表があるし、とりあえず曲は作ってるしその作風は他の人らとは全然違う。だから、シーンにコミット出来ないけどそれでもまあそれなりの数の人に聞いて欲しいなって思ってる。
シーンとか気にしなくていいでしょ?バトルも別にいいでしょ?って思ってくれてるサイレントなマイノリティー様にお届け出来ればいいなと。

そんな僕も、強さっていう点では本当に強くなったと思う。
大学卒業仕立ての頃は自分の意見なんてまるで持てなかったし、言いたいことを言うのも有り得なかった。
言いたいことを言ってる人が怖くもあったし、怖く感じる人の前ではよく胃腸が傷んだ。
「何言ってんだこいつ?」って誤魔化しでも嘲る生意気さがあれば違ったんだろうけど、僕はかなり間に受けやすいタイプの人間で「そうですよね」と同調するだけのつまらない脳味噌を前髪で隠して暮らしていた。
真面目な事を真面目に話す人を冷やかす人が怖くて、同時に真面目過ぎちゃつまんないなって自分もいて、結局は自分の性格が悪いだけってことにしてそこに全部おさめてしまえいいって矛先をわざと自分に向けたりする。

バス停は結構混んでて、二、三十人くらいの列が歩道を占めている。僕は前から五人目くらいにいて、たまたまこの日に限ってイヤホンを家に忘れてきていた。
後ろの方から罵声みたいなのがずっと聞こえるなぁって無意識レベルで聞き流しながら、自分のラッパーとしての悩み相談みたいなのを自分自身に問いかけていたんだけど、その罵声はみるみる内に大きくなっていくわけ。
なんかおかしいよなって思って後ろを振り向いたら、列に並んでいたはずの人が半分くらいにごっそり減っていて、石原慎太郎みたいなお爺さんがずっと叫んでいたんですよ。
「おまえらほんとにアホンダラばっかりだな!どいつもこいつも。おい!スマホやめろ!おまえみたいな奴が誰と繋がれるってんだ?ほんとにバカだな!」って。
冷静になって周りを見たらスマホを持ってんのが、僕一人になっていて、さすがに空気読んでスマホをポケットに仕舞った。
だからこの文章は途中で途切れた。帰宅してから七割増くらいで加筆した。
これはじつに日本人らしい風景で、全員がそのお爺さんを完全に無視。
ところが、バス停とは関係のない通行人が一人、見るに見かねて注意してしまう。
それは全然注意になってなくて、ただの宣戦布告でしかなかったけど。
「さっきからうるせぇんだよ!クソジジイ!警察呼ぶぞコラ!」って。
通行人A、小太りの中年男性はすごい剣幕で怒鳴っていた。
んで、当人であるお爺さんはと言うと「おう、呼んでみろよ!おまえどこの誰だよ?どこの誰が口を利いてんだよ!!」とさらに大きい声で被せた。
「迷惑なんだよ!クソジジイ」と言い返すも途中で馬力がなくなってきて、結局その人はそそくさとどこかに消えてしまった。
そして、バス停に並んでいる人は全員完全に無視。
僕の真後ろにいた人たちがそれで並ぶのをやめたらしく、気付いたらそのお爺さんが僕の真後ろまで来ていた。
多分だけど、見た目と態度的にこの中だとお爺さんは僕のことが一番気に入らない存在だったと思う。

んで、強さの話に戻るけど。
一昔前の僕だったら、ディスクユニオンにでも向かって時間を潰して次のバスに乗ったと思う。
そして、「あのお爺さんおかしいよな?」って思うのではなく「自分がなんか悪いことしたんじゃないか?」と自信なく勘繰っていたと思うのだ。
だけど、今の僕には経験からくる余裕みたいなのがあって「こういう変なお爺さんいるんだなぁ」ってスルーできる本心が備わっていた。同時に、もし喧嘩を吹っかけられても冷静に周りの人たちの気持ちを代弁して、そのお爺さんを言葉だけでボコボコに出来ただろうなという妙な自信が僕を支えていた。
話しかけられなくても余裕だし、話しかけられても余裕。こんな気持ちはついこのあいだまで本当になかった。
「何言ってんだこいつ?」って嘲ることが可能になっていたわけなんです。
結果としてそのお爺さんはバスに乗る時にまた運転手と喧嘩を始める。
「どこまで乗りますか?」と運転手がお爺さんに聞く。
「〇〇団地だよ」
「それだと向こう車線のバスなので、このバスだと行かないですね」
「行けよ!」とお爺さん。

「行けよ!」ってその言葉が本当に羨ましくなるくらい強気で、僕は手を叩きたくなるくらい関心してしまった。
結局、その〇〇団地の近くの停留所で降りる事にしたらしく、お爺さんは同じバスに乗ってきたし、その後で特に事件も起きなかった。

そんなわけで僕は、強さってやつについて妙に考えされられた。
正しいか間違ってるかはどうでもよくて、その強さが詩を、歌詞を、リリックを、支えるんじゃないかな?って。
だから、楽曲だろうがバトルだろうがコラムだろうがブログだろうが、多少の強さを誇示して誇張していかないと伝わりすりゃしない。
例えば小藪さんがこのブログを読んで直にキレてきても(いや、全然ディスってないけどね)平気で立ってられる指針みたいなのが自然にあればいいんだと思う。
フリースタイルを全く練習しなくてもそれさえしっかりしてればそれはそれで強いラップなんだって、こんなスキル至上主義の状況だからこそ信じておく必要があるって。

変に捻くれないで真っ直ぐにそう思ってるだけでだいぶ違う。
とりあえず、一枚はアルバムのレコーディングが終わってるから、それを発売させて世の中に吐き出すまでは、もう少しだけ辛抱しようと思う。